明恵上人の「阿留辺畿夜宇和」で始めたこの日誌では、まず「私」という人の成り立ちを簡単に紹介しました。自分でもまず自分というものの「あるべきよう」をふりかえってみようと思ったからです。考えてみると、18歳まで群馬県の草津温泉というところで、家族や友だちと過ごした日々は、「私」という人の基礎を形成し、今日まで続き、そこそこで自分を導いてきたようです。どうあがいても、こうなるようになっていたのかなと考える次第です。
さて、私は高校卒業後埼玉大学教育学部英語英文学科で学ぶことになりました。自分で望んだことではありませんが、なぜかそうなりました。でも、結局良かったです。いい先生に出会い、いい友人にも出会い、何をしたらよいのかも漠然とわかりました。そして、埼玉県の高校の英語の教師になりました。
英語の教師という仕事も、「私」という人が暮らしていくには相応しいようだと感じました。消極的な選択です。一つには、「英語の勉強をしたかった」ということです。英語力や知識が圧倒的に足りないと感じたので、教師であれば「learning by doing」でなんとかなるだろうと思いました。二つには、会社という組織は自分に向かないとわかっていたからです。親はこのことをわかっていたので、大学にも行かせてくれたのでしょう。
最終的には、教育実習でお世話になった真尾正博先生に出会ったことが後押ししました。ここでも「あるべきよう」にというしかありません。英語力がない「私」でも教師としてやっていけるという自信ができました。英語もできないし、人間も中途半端だし、「先生」と呼ばれるに値しない人間でしたが、やっていいんだと思いました。
その後、埼玉県の高校英語教師として18年間を過ごすことになりました。特に優秀な教師ではなく、ごくふつうの教師でしたが、その場その場で「learning by doing」の実践は続けていたと思います。
我が道は どうにかなるさ 蛍草