2025年3月10日月曜日

Bombing of Tokyo / 東京大空襲 1945年3月10日 2025年3月10日(月)

80年前、東京大空襲の記憶 隅田川に沿って逃げた体験


本日は、1945年東京に大きな空襲があり甚大なる被害があり、10万人以上のひとが亡くなったという日です。先の大戦は、日本が仕掛けた戦争でその責任は否めないことですが、アジア全体で多くの人が被害を被ったことは事実です。広島と長崎に原爆が落とされたことは大きく報道されますが、空襲の被害も日本の各地でたくさんありました。不発弾がいまだに地中にあり、ときどきニュースになります。

戦争の被害を多くの一般市民が受けてしまう時代は最近になって顕著です。被害にあっても何も報いがないということも事実です。ウクライナ、ガザ、スーダン、ミャンマーなどなど、紛争は現在も各地であり一般の人が被害にあっています。日本は幸いなことに紛争には巻き込まれていません。しかし、明日はどうなるかは確かにわかりません。戦争を語り継ぐことは大切です。

しかし、すでにbombingは昔のことで、現在は、aerospace weaponsの時代になり、rockets, missiles, dronesなどの兵器が主流です。ますます紛争には関係のない(軍人ではない)人が巻き込まれる、あるいは、ターゲットにされる可能性は高くなっています。恐ろしいのは、罪悪感がなく、ゲームのような感覚でこれらの攻撃が行われるということです。サリンなどの化学兵器、細菌兵器までもが開発される可能性も排除できない状況です。ただいま恐ろしいことに、ますます知らず知らずに軍備が拡大しています。話し合いなど穏健にやっていこうという方向ではなく、対立が助長されています。

東京大空襲については、私の亡き母がその頃下町いたようで、死体が焼かれている匂いがあちらこちらにあったと言っていたのを記憶しています。それも何気なくぼそっと言っていました。戦時中戦後は生活がたいへんでそれどころではなかったのかもしれません。

空襲についてはDresdenを題材にしたKurt Vonnegutの小説があります。1945年2月13-15日に行われた空爆で3万とも25万とも言われる人が亡くなりました。Slaughterhouse-Fiveという小説です。前にも書いたかもしれませんが、捕虜として経験した空爆のことを題材に書いています。おそらくどこでも同じです。結局誰がどう亡くなったかも正確にはわからないのです。戦争状態になるとそういうことなのです。災害も同様ですが、何万人となると規模が違います。誰かが犯罪人となるはずですが、責任の所在や罪悪感はないのがふつうです。

大量虐殺(mass killing, genocide)はそれに限らず行われます。Holocaustはその中でも特別です。とにかく人間は歴史的にそのような悲惨なことをしてきました。他の生物はそういうことはしないのに、なぜ人間はそれをするのでしょうか?旧約聖書でも、そのような戦いの歴史が描かれています。「人を殺す」ことは罪ですが、戦いなどとなれば、生きるか死ぬかとなりますから、仕方がないのかもしれません。が、現代はそれとは違います。戦いではなくても巻き込まれます。その罪は誰も問われないっておかしいですね。


春嵐 屍騒ぐ 大都会