川崎市立中学校で授業のコマ数が不足見込み 授業増で対応
こんなニュースが昨日ありました。みなさんはどう思いますか?
「川崎 7中学校の3年生1930人余 年間授業コマ数足りず追加授業へ」
ときどき起こる「授業時数が足りない」「無免許教師の授業は認められない」などなどで、先生や生徒に追加の授業をするというパターンです。
私は、このような意味のない対応はやめるべきだと思います。明かに現場の学校で過失があったとすれば、それは補う必要がありますが、教育活動が適切に行われ瑕疵がないならば、もっと実質的な対応でかまわないと思います。
ちなみに、標準授業時数については文部科学省は次のような文書を示しています(他にも多くの情報がウェブ上にあります)。
標準授業時数は、学習指導要領で示している各教科等の内容を指導するのに要する時数を基礎として、学校運営の実態などの条件を考慮して国が定めたもの。
小学校・中学校・義務教育学校・中等教育学校の前期課程では、学校教育法施行規則において、教科等ごと、学年ごとに標準授業時数を定めている。
各学校においては、標準授業時数等を踏まえ、学校の教育課程全体のバランスを図りながら、児童生徒・学校・地域の実態等を考慮し、学習指導要領に基づいて各教科等の教育活動を適切に実施するための授業時数を具体的に定め、適切に配当する必要がある。
カリキュラム上は、世界中の多くの国で、教科科目、単位数、年間授業日数時数、授業時間などを規定しています。これ自体は当然ということです。その運用と処理の仕方があまりにも形式的で生徒からすると納得がいかないのではないかと思います。もう少し実態を踏まえて対応するのが賢いやり方ではないでしょうか。
文部科学省の考え方は、量的な視点を重視していて、質的にどうかという点を考慮していません。
標準授業時数については,学習指導要領に示す各教科等の内容の指導の質を担保するための,いわば量的な枠組みとして,教育の機会均等や水準確保に大きな役割を果たしてきた。特に資質・能力のうち,定量的に質を測定できるのは知識・技能等の一部にとどまることから,学習指導要領が求める教育の質を量的に支えるものとして標準授業時数は重要な意義を持っている。
「質を担保するために、量的な枠組みを」という考え方はちょっと無理があります。また、「定量的に質を測定する。。。」「質を量的に支える」という点も意味不明な考えです。要するに、量的に規制をかけることしか考えていません。が、そのような無理くりはやめて、質については、学校や教師に委ねることが大切だと思います。このような中央集権的な姿勢は避けるべきでしょう。
文部科学省の姿勢は、細かい規定を述べて、結局よくわからない文書が多いです。これが「お役所的」なのかもしれませんが、現場はそれを忖度してルールを決めて、それに教師は従うという傾向が顕著です。曖昧にしておき、結局形式的に処理せざるを得ないようにしています。
この問題は、計画段階で形式的な授業時間数確保が数字的に間違っていたことが原因のようです。実質的に何か問題があったと思えません。要するに「履修」の問題です。実際にどうであったか、つまり、「先生が授業に10分遅れた」「授業中に事故が起きて、20分間授業が中断した」など、分単位で実質を計算して授業時間確保ではありません。また、「講義は授業で、個人学習は授業とはみなさない」「先生がいて、生徒は自習していた」「生徒の半数以上が寝ていた」などの事例は無視です。あるいは、「賢い生徒ばかりで教科書内容が1週間で終わったので、あとは遊びだった」など。
形式的な学習にばかりこだわる考え方は、おそらく現在の教育には当てはまらないのに、あくまで従来の考え方を踏襲することは、決してプラスにはならないでしょう。 PISAだけの指標を見て、日本の教育は良いと判断するのは間違いでしょう。もっと柔軟な対応を認め、無駄なことは排除し、生徒一人ひとりの「生きる力」「考える力」を育成することが大切ではないでしょうか。川崎市ももう少し柔軟に対応を考えてもよいと思います。
Adaptive teaching: Rethinking the nature of learning in schools
意味もなく 学びもなくて 春浅し