2024年9月5日木曜日

研究4(フィンランド) 2024年9月5日(木)

          What Makes Finland's Education System Stand Out?



フィンランドとの縁は長くなりました。1990年ごろ高校教員をしていた際に、フィンランドからの留学生と出会いました。一人は1年間担任をして、もう一人は途中で帰ってしまいました。二人とも自律した人で目的が明確でした。しかし、日本の教育には馴染めなかったようです。

その時から興味を持ち、1996年にユバスキュラでのAILA(世界応用言語学会)に参加し、ヨーロッパでの言語教育の流れを感じました。フィンランドはまさにその優等生として急速に変革し、二人の留学生の教育の背景がよくわかりました。

その後、2000年代に入り、CEFRの研究との関連からフィンランドにたびたび行くことになりました。Jyväskylä大学のSauli Takala先生の世話であちらこちらに出かけ、英語教育の実態を中心に調査をしました。そこで、CLILにも出会ったわけです。

私の調査のポイントは、一貫して教師と教師教育です。結論から言うと、日本とは真逆と感じました。フィンランドでは、教育という仕事は社会から評価され、教師のスティタスは高く、ただ教えることだけではなく、それぞれの教師が自負を持って「教育者」として教師をしています。上からの指示により動く、国の政策に沿って動く、ということはありません。教育省、教育委員会、校長という縦社会ではなく、それぞれがその職の専門家で立場はフラットです。ハラスメントも起こらない状況です。実感として、そのように理解しています。

英語教育はシンプルで、「英語の知識や技能を教え込む」のではなく、「英語の学び方を支援し、その場を提供し、それぞれの生徒の目標実現をサポートする」というアプローチです。アメリカや日本のように教師のカリスマ性を否定します。教師は目立つ必要はないのです。「私が教えたからこの生徒は英語ができるようになった」などと自慢する教師に私は会ったことがありません。教師は教師の目標があり、研究する人は研究し、その他にしたいことがあればする、という態度です。生徒個人を尊重し、個人的なことにあまり干渉しません。授業や自分の職務がすべてで、日本のように余分なことまでかかわらない。夏休みは教師個人にとっても重要な研修の時間なのです。

また、どこの学校がいい、どこの大学がいい、という意識は薄く、また、大学に行くことがすべてでもなく、人と同じことをしようとはあまり思わない。学びたくなったら学び、学びたくなければ学ばない、という学びを生涯保証しています。基本、教育は最重要な社会インフラとしています。

もちろん、フィンランドにも多様な問題や課題は山積していますが、歴史的に国家としての危機感があり、日本よりは個人の社会参加意識が強く、厳しい面は多々あります。日本でも私が調査している20年の間に少しずつ変わってきていますが、文部科学省を頂点とするシステムは、既得権益なのでしょう。変わることがなく、この点が多くの問題を生み出しています。文部科学省は、表面では良いことを言っていますが、教師が伸び伸びと主体的に教育できる環境をますます潰し、ロボットのような人材を作り出して、画一的な教育を推し進めているようにしか見えません。批判ではなく真摯に考えなくてはいけない課題です。

私の研究は、日本の教師とその教育で、それをフィンランドと対比しました。フィンランドに見習うべきことは多いことを提言してきました。その度に批判されたことは、フィンランドは小国だからそれができるが、日本は大国だからできない、ということです。逆に言うと、だからこそ、英語教育は変わらない、という結論になっています。解決の一つは、CLILのようなアプローチです。長くなりますので、ここで今回は終わります。(続く)


スオミでは 9月は寂しく 夏はゆく