2025年4月7日月曜日

The new fiscal or academic year / 年度の始まり 2025年4月7日(月)

この日記のテーマは「阿留辺畿夜宇和」です。日本人にとっては4月はスタートの月です。学校や会社で新しくスタートする人がたくさんいて、桜などの花が咲き、なんとなくウキウキするとともに悲哀に満ちる時期でもあります。日本は次第に季節感が薄れてきていますが、私たち生命体はその季節に順応して動き出しますから、やはり違う気分です。

この日記には何の一貫性もありません。朝起きてコンピュータに向かい(これが私の日常になり健康にはよくありません)、メールチェックなどを経て、日記をつづり出します。「阿留辺畿夜宇和」を実践します。今日思いついたことは、株が暴落して驚いたこと、家の前のサクラが満開になっていたこと、そのサクラの枝がいくつか枯れていたこと、私の左肩と手の痛みが取れないこと、借りた本を返して、スターバックスに来て、この日記をタイプしていることです。

実に平和な1日の始まりです。書いているうちに、いつものことが頭をよぎりました。多くの人は実に真面目に何かをしています。私は退職をして定職はなく、そのような仕事はしていません。定員さんはとても親切です。次第に増えていく客にテキパキと対応しています。すごい。周りにいる人もボーっとしている人はいません。こんなにみなさん活動しているのに、政治も経済も何をしているのかと思います。平和が一番ですが、何かの拍子に崩れるのでしょう。

考えてみると、あちらこちらで変なことが起きています。その中で、私がいま一番気になっていることは、高校の授業料無償化と偏差値教育です。授業料無償化は基本的によいことだと思いますが、やり方がひどいし乱暴です。公立高校の多くは定員割れになり、高校にいく目的も失いつつあります。私立高校は、何か宣伝になる活動に必死です。活動の多くが競争の中にあり、生徒集め、実績づくりなど、学校は一つのビジネスになっています。これは日本だけのことではないので、ある面で仕方ないことかもしれませんが、公立高校までその波に飲まれて、淘汰されていくことは、教育的ではないでしょう。

高校は偏差値がいまだに意味を持ちます。「名門校」などともてはやされるようになりました。何の実績もないふつうの高校は劣等感を持つでしょう。「名門校(prestigious school)」「名門大学(prestigious university)」などとマスコミがもてはやし、教育に序列をつけています。しかし、それは違います。どこにいても、どこの学校でも、学ぶのは個人であり、どこの学校にいるから優秀だということはありません。それぞれが特性を持ち、目標があり、やりたいことがあるので、それを活かすのが教育です。

新学期となり、学校も会社も嫌になってやめる人がだんだん出てきます。その受け皿までがビジネスとなっています。学びたくなったら学び、したいことをして、自分の人生を歩める個人を支援し、そのような社会を築くことが教育だと思います。いい加減に、偏差値も名門も仕事の優劣も貧富など、物事に序列をつけて判断するのはやめましょう。せめてマスコミはそのような差別をなくすことを心がけていただきたいと思うのは、私の偏見でしょうか?


春なのに 寂しく想う スターバックス