What is Coming-of-Age Day in Japan?
昨日は、成人式?20歳を祝う会?20歳のつどい?などという日でした。英語では、Coming of age dayと紹介されます。法的(民法)には、2022年4月1日から成年年齢が20歳から18歳に変わったそうです。コロナやウクライナ紛争によってドタバタしている際に変わりました。つまり、成人とは18歳以上を言うということになります。しかし、現実は、成人式は、20歳を祝う会や20歳のつどいなどとしてイベントがあちらこちらで開催されたようです。理由は、よくわかりませんが、従来のイベント開催の方が妥当だということでしょう。
Japan’s coming of age ceremony – in pictures
誰も特に何も言いません。成人年齢が18歳となったことによって次のようなことが変わりました。
親の同意がなくても契約できる、携帯電話の契約、ローンを組む、クレジットカードをつくる、一人暮らしの部屋を借りる、10年有効のパスポートを取得する、いくつかの国家資格が取れる、女性の結婚可能年齢が16歳から18歳に引き上げられ、男女とも18歳になる、性同一性障害の人が性別の取扱いの変更審判を受けられる、など
飲酒・喫煙などは変わりません。実質はあまり変わっていないように見えます。つまり、法的に成人年齢が変わっても、社会文化的には変わらないということです。政府がすることには理由や経緯があるのでしょうが、夫婦別姓などはいつまでも議論をしているのに、意味のあまりない法律をさらっと改定し、社会もそれを適当に受け入れるという結果になっています。
成人式は、ずいぶん盛大になりました。昔は参加しない人も多く、着飾る必要もなかったです。私の場合は、夏のお盆の帰省に合わせてやりました。同窓会です。その後女性は晴れ着を着るようになり、各地で式典は形骸化し、荒れてマスコミを賑わすイベントとなり、派手なカッコウしたり、暴力をふるったりなど、変なイベントとなりました。今年がどうかは知りませんが、やはり20歳が基準で、18歳で祝う式典は少ないようです。
各地で“二十歳の集い” 晴れ着トラブル…衣装の行方 ド派手リーゼント…母の思いは(2025年1月13日)
私の個人的な感想は「?」ということです。女子大学に勤めていたのです。成人式は一大イベントでした。一年生として入学すると、その次の年のこの日は晴れ着を着て、各家族にとっては重要な日となります。いろいろな意味でビジネスで、本来の意味は、政府広報によれば、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」としています。それであれば、18歳で祝うのが筋です。しかし、18〜20歳という幅ができて、成人の意味が適当になりました。
これは、実に日本的なやり方です。あいまいにして社会の流れに任せる、ということです。たとえば、自転車に乗るときはヘルメットをかぶる、飲酒をして自転車に乗ってはいけない、キックボードは種類によるなど。法律などのきまりを複雑にすることで、解釈をあいまいにして、裁量で判断するようなシステムです。移民や難民の申請も日本は他国に較べ厳しいと言われています。が、外国籍の労働人口は増えています。実質的に日本には多くの外国籍の人が多く住むようになっています。
いずれにしても、20歳という年齢は、何となく私の中では意味を持つ年齢となり、その思い込みは定着しています。要するに、選挙権や酒とかタバコとかギャンブルと結びついています。選挙権が18歳になりました。これはかなり大きなことですが、私の世代では、酒やタバコが重みがあったかもしれませんが、それ以前から酒やタバコは多くの人が嗜んでいました。あまりうるさく言われた記憶はありません。が、現在はだいぶ違うようです。厳格になりました。
しかし、その分、薬物は厳格に規制されても隠れて蔓延しているように思います。ルールが厳格になっても、抜け道がいっぱいあるのが現代の病理のような気がします。ネットワークの多様化により、ますます社会が多様化し、法律で規制されても、手が出しやすい社会にどんどんなっていって、それを悪用する人が規制の外で活動し、見えなくなっています。公的機関やマスコミは、法的に社会的に政治的に適正さを保たなければいけないので、対応できない部分には目をつぶる傾向にあります。しかし、反社会的な組織やソーシャルメディアは規制を逃れて活動します。
成人は、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年」なのです。しかし、それが18歳なのか20歳なのか、はたまた何を基準としてそうなるのかは、実にあいまいで、いつまでも成人にはならない場合もあるのかもしれません。日本は、比較的平和で優しい社会です。しかし、逆に、格差が大きくなり、自分が暮らしているコミュニティ以外には、いい加減な社会になりつつあるように思います。私は毎年毎年高齢者の領域に足を突っ込んでいます。しっかりしなければいけないと思う成人の日でした。
遠い日々 成人の日に 想う晴れ