2024年10月29日火曜日

研究6 (英語教育2)  2024年10月29日(火)

           How to become fluent in Japanese in 2024

このビデオは日本語をどう学ぶかということです。同じようなことをしていますが、日本の英語学習の仕方とはやはり少し違います。参考になります。現在はこのような多言語学習について興味を持っていますが、その経緯を書きます。

ふつうに言語(英語)教育をすることが大切と考えるようになりました。しかし、それは、英語を学習の対象として教える従来のいわゆる知識を重視した語彙や文法に焦点を当て、読解と和訳という活動に終始するのではありません。明治以来、あるいは、それ以前の漢文の伝統に由来します。それはそれとして価値のある学習形態ですが、それとは違うふつうの言語学習を探求しています。

理由は単純です。英語がなぜか高尚で頭のよい学習であるかのような文化が日本にはあると感じたからです。英語ができると「すごい」、英語を話しているアメリカ人やイギリス人を見ると引け目を感じる、あるいは、憧れを感じる、など、いつの間にか劣等感を感じ、「英語ってすごい」という雰囲気ができているような気がしました。ましてやフランス語やドイツ語もそうかもしれません。しかし、中国語や韓国語にはそれはありません。おかしいと、私は感じていました。そこで、「ふつう」に言語を学ぶことの大切さを大事にしたいと思いました。

私の世代は、英語は大学に行くための受験科目でした。単語をおぼえ、文法の知識をつけ、読解力や英作文力をつける、という学習です。話す、聞くはほぼありません。しかし、大学で教職を目指した際に、発音、語彙、文法などの仕組みを学び、聞く、読む、話す、書くという技能、教師となり、さらに、コミュニケーション力という考え方に触れ、少しずつ言語学習を理解するようになりました、しかし、意味のない活動には違和感がありました。その頃から、先生がテンポよく英語を使い、英語で活発に活動する活気のある授業づくりが流行しました。上手にできる教師は注目され、教師に芸人の要素が重要となりました。私も努力しましたが、私にはそのような才能はないと感じました。また、私の環境はそうではないことの方が重要だと強く感じました。私の仕事は、生徒の学習意欲を高め、それを支援するために、よい指導のあり方を考えることと考えたわけです。

一時期、ALTとよくいっしょに授業をしました。打ち合わせはさらっと、あとはその場その場でやりとりしながら、進めました。生徒はALTと話したがるので、それを大切にしました。また、文化や背景などの時間もとりました。気づいたことは、生徒は話の中身に興味を持っていることでした。自然と生徒の興味に応えるようにしました。つまり、ふつうに英語を使い、学ぶことを大切にしました。授業は見栄えのするようなものでは当然ありません。

その積み重ねが、今に至っています。

その点から、言語(英語)授業がどのようになっているかという実態を知りたいと実践的な英語授業を研究の対象としました。簡単に言うと、授業の臨床(clinical teaching)を研究の対象として、実態を知りたいと思い、日本、周辺諸国、欧米など、機会があれば出かけて行って授業を観察し、教師と話をしました。その調査は、私のteacher cognitionの研究の一環ですが、それだけではなく、実態を知りたいと思いました。理由は、高校教師の頃はそのような暇はほとんどなかったからです。

途中は省略しますが、私にとってはこれが最も役に立った研究です。結論を簡単に言うと、「教師が楽しく教えると生徒の楽しく勉強する」「授業は多様で柔軟である必要がある」「教師と生徒との良好な関係性が大切」「学びを強制せず引き出す」「生徒の興味関心を大事にする」「わかりやすい、質問しやすい環境」「社会的ルールを大切にする」というような当たり前のことです。

あるがまま 学びも教えも 桃を食む