2025年7月31日木曜日

Stirling in Scotland / スコットランド・スターリング 2025年7月 31日(木)

スコットランド(Scotland)はときどきニュースでも扱われますが、日本ではまだまだ認知度が薄く、誤解されている英国の一部でありながら国です。Scotlandはbugpiple, whisky, golf, curlingなどで知られることが多いですが、日本とは昔から関係の深い国です。私は、そこで博士課程を修了し、教育学博士号を取得しました。英語で言うと、Doctor of Philosophy (PhD)です。スターリング大学(the University of Stirling)で学びました。学んだと言ってもparttimeです。日本にいながら、年に数回通うことで学びました。外国の場合も日本も同様ですが、授業をただ受けることではなく、自分のテーマを追求し研究し、それを認めてもらうことです。とてもいい経験でした。その研究の内容は以前も書きましたので省略します。

ここではStirling という場所について書いておきたいと思います。Stirling はScotlandの歴史上重要な場所です。それを象徴するのが、Wallace MonumentとStirling Castleです。EdinburghやGlasgowから車や列車でStirlingの近くに来ると、この二つがあり、Landmarkとなっています。William Wallaceは13世紀末にEnglandの支配に抵抗した英雄とされています。大学近くのStirling Bridgeでの戦いで勝利しましたが、その後近くのFalkirkという場所で負けて、その後捕まり、Londonで処刑されました。映画Brave Heartでその件は表現されています。Robert BruceとともにScotlandでは建国の英雄として讃えられています。

The University of Stirlingは、キャンパスが自然に恵まれた場所にあり、寮もあり、スポーツ施設なども完備された、過ごしやすい環境です。私も最初の頃は、日頃のストレスを解消するために、ゆっくりとさせていただきました。ただ私の場合は、当初あったScottish CILTという言語教育センターにずっといさせてもらったので、ほぼそこにいて、Scotlandの言語教員研修などの活動に参加させてもらい調査しました。センター長のRichard Johnstone先生のおかげで楽しい研究生活をさせてもらいました。

Stirlingは小さな街でPubもほぼすべて行ったと思います。街とは別に大学の近くにはBridge of Allanというとても居心地の良い場所があり、カフェやパブやちょっとしたお店があり、そこのB & Bにも滞在しました。いつもEdinburgh空港でレンタカーを借り、1〜3週間滞在するという学業生活をしていました。学業生活と言っても、せっかくScotlandにいるのであちらこちらにドライブに行っていました。その点で、Stirlingはちょうど良い場所にあったと思います。

日本では、Scotlandに少し偏見を持った人は、訛りがどうの、文化的にどうの、という人がときどきいます。英語はどこへ行っても少しずつ違います。日本と同じです。私は一度も気にしたことがありません。日本はアメリカ英語に多くの人は偏っているので、そう思うのでしょう。が、私はScotlandに来ると落ち着きます。なぜかという、、、やはり人です。派手な人もいますが、比較的素朴な人が多いです。日本的情緒性と親和性が高いと思います。

学校や教師も、基本的には日本とよく似ていて、厳しさもありますが、新しさもあり、伝統を大事にしますが、閉鎖的ではありません。Englandに対する対抗意識もあり、各地域のそれぞれの特性も大事にします。ScotsやScottish English という訛りや文化も大切にしながら、自分たちの生き様を誇りに思っているresilienceを感じます。私が回った学校やそこで働く教師から得た個人的な印象ですが、たくましさがあるような気がします。Londonあたりの忙しない生活とは一線を画しているので、私は落ち着きます。

最近はあまり行くこともなくなりましたが、数年のうちにはもう一回訪れたい街がStirlingです。私のもう一つの故郷かもしれません。


夕焼けに スターリングは 遠くあり


2025年7月30日水曜日

Bears / 熊 2025年7月 30日(水)

熊(クマ)があちらこちらで悪者になっています。背景には、さまざまな問題があると思いますが、市外に出没したり、家を荒らしたり、人を襲ったりなど、私たちの生活を脅かしている報道がされます。これに関しては、熊の脅威を感じない人(私も含めて)には他人事で、殺傷処分がされることには率直に「かわいそう」と感じます。シカやイノシシはジビエとして重宝され、捕獲され、肉とされても、誰も「かわいそう」とは言わず、「おいしい」となります。たくさんいるから、人間に害がそれほどないから、畑を荒らすから、などなどの理由です。また、サルは殺傷されません。人を襲わないので脅威とならないからでしょう。

クマは意外と人間の生活圏に近いところにいるので、結局昔から駆除され、肉となり、それなりに食べられてきました。敬意を払ってジビエとなっていました。クジラやイルカも、私たちは捕獲して食べてきています。人間の勝手と言えば勝手です。それでも、クマはなんとなく「かわいそう」と思うのは私だけでしょうか?金太郎、プーさんなど、親しまれる動物です。ぬいぐるみもたくさんあります。愛されながらも、恐ろしいクマという二面性は、どうも納得がいきません。

    Where are the bears?

英語で「Living with bears」と検索をかけるとたくさん出てきます。日本と同じような課題は他の国でもあるということがよくわかります。合衆国では、年間殺傷されたクマは2600頭いるそうです。それと較べると日本は大したことないようです。クマに対処するハンドブックもあるようです。たとえば、BearWiseというWebサイトには6つのアドバイスが掲載されています。

1. NEVER FEED OR APPROACH BEARS

Intentionally feeding bears or allowing them to find anything that smells or tastes like food teaches bears to approach homes and people looking for more. Bears will defend themselves if a person gets too close, so don’t risk your safety and theirs!

ついつい、餌を与えれば、襲わないのではないかと思いますが、ダメみたいです。生きるためには食べ物の匂いや味がすれば寄ってきます。野生の動物は日々危険とともに生きているから敵が近づけば、身を守るというのは本能です。

2. SECURE FOOD, GARBAGE AND RECYCLING

It’s all food to a bear!

A bear’s strongest sense is smell. They can pick up a scent from over a mile away! That is more than seven times better than a bloodhound. Food and food odors attract bears, so don’t reward them with easily available food, liquids or garbage.

クマは鼻がいいので、食べ物はすぎに感知するそうです。1とほぼ同じです。

3. REMOVE BIRD FEEDERS WHEN BEARS ARE ACTIVE

Birdseed and grains have lots of calories, so they’re very attractive to bears. Removing feeders is the best way to avoid creating conflicts with bears.

野鳥のために餌場を設置することも、クマを寄せつける原因となってしまうそうです。腹の空いたクマは確かになんでも食べるので気をつけないといけません。

4. NEVER LEAVE PET FOOD OUTDOORS

Feed pets indoors when possible. If you must feed pets outside, feed in single portions and remove food and bowls after feeding. Store pet food where bears can’t see or smell it.

Never leave food out for stray dogs and cats.

都会では犬を外で飼うことはあまりないので問題はないでしょうが、郊外に行けば外で犬を飼うのは当たり前です。野良犬や猫も郊外です。日本ではそれほどこのような状況はないかもしれませんが、基本的に餌となるようなものを外に放置しないことです。

5. CLEAN AND STORE GRILLS

Clean grills after each use and make sure that all grease, fat and food particles are removed. Store clean grills and smokers in a secure area that keeps bears out.

キャンプなどをした際に気をつけることです。

6. ALERT NEIGHBORS TO BEAR ACTIVITY

See bears in the area or evidence of bear activity? Tell your neighbors and share information on how to avoid conflicts with bears. Bears have adapted to living near people; now it’s up to us to adapt to living near bears.

クマは比較的人間の近くにいるということです。

ということで、野生の動物と仲良く暮らすという願いは間違いだということがよくわかりました。家畜やペットと野生の動物はまったく別ということです。それが共生ということなのです。


クマやシカ 猛暑もともに 月見草 





2025年7月29日火曜日

Stratford upon Avon / ストラトフォード・アポン・エイボン 2025年7月 29日(火)

ストラトフォード・アポン・エイボン(Stratford upon Avon)は、シェイクスピアで有名な町がイングランドにあります。最近はしばらく行ってませんが、縁あってよく行っていました。当初は観光です。近くにコッツウォルズ(Cotswolds)というイングランドの原風景のような素敵な地域があります。その辺りを訪れました。Cotswold National Landscapeに次のような紹介があります。

The Cotswolds is one of the country’s most beautiful landscapes with nearly 800 square miles of superb scenery, picturesque towns and villages, and endless opportunities to get out and explore the area on foot, by bike or wheel, or on horseback.

Discover Bibury, England: The Most Beautiful Village in the Cotswolds

このあたり周辺はレンタカーを借りてよくドライブしました。寺内一先生の関係でWarwick大学に行き調査したり、周辺の学校を訪問したり、Birminghamにも行きました。目的は、Englandの言語教育(modern languages)と学校教育の調査です。日本は英国の教育や言語教育の影響を受けてきました。戦前は英語と言えばBritish Englishの影響が強く、戦後はAmerican Englishに大きく変わりました。英文学や英国の文化の影響は強かったので、Englandの言語教育に特に興味を持ったというわけです。結論は日本とよく似た現象が授業で見られました。多くは、文法や語彙の学習が中心で、フランス語、ドイツ語、スペイン語が細々と続けられていました。中身は悲惨なものでした。日本とほぼ同じです。

しかし、Shakespeareの演劇の伝統は多くの学校で見られました。ドラマなどはふつうに行われているのを見た記憶があります。Stratford upon Avonを訪れた主たる目的は、Shakespeareの芝居です。滞在していると気は、ほぼ毎晩のようにRSCに行きました。また、小さな町なので、パブもほぼすべて楽しみました。いい時代でした。Shakespeareは戯曲はやはり私たちのようにイングランドの文化を知らない者にはむずかしいですが、舞台を見ると、さまざまな演出のおかげでその魅力が増します。歌舞伎と同じなのでしょう。

当時はそれほど観光化されていなかったので、Shakespeareが眠っている教会、Holy Trinity Churchにも朝の散歩で自由に入れました。Avon川のほとりを歩き教会までよく散歩しました。白鳥に襲われたこともあります。いい思い出です。もう一つ印象的なことはThatched roofです。Anne Hathaway’s Cottage に代表される茅葺の屋根がとてもきれいだったことをよくおぼえています。Conservation of Traditional ThatchThatched roofについて書かれています。

Thatch is a traditional roofing material in many parts of England. It has rich regional traditions that contribute to the local distinctiveness of vernacular buildings. Thatch also has important archaeological value; for example, medieval thatch survives below more recent layers on some roofs.

日本も以前は茅葺の建物がありましたが、現在は少なくなっています。自然環境的には良いですが、やはり維持するのがたいへんtということでしょう。しかし、猛暑が続くと茅葺のほうが過ごしやすいとも言います。環境にやさしいということを考えると昔の技術を継承していくことは大切だと思います。英国ではThe National Trustという組織があります。歴史的な自然や建物を保存する団体です。英国らしいという文化ですが、そのおかげで多くの貴重な歴史的な場所が大切にされています。

保存するためには、それなりの費用がかかるのは仕方ありませんが、最近は入場料も高騰しツーリストにはたいへんな時代となりました。しかし、従うしかありません。


暑い夏 それでも生きる 雑草や





2025年7月28日月曜日

Active volcanoes / 活火山 2025年7月 28日(月)

    Footage shows Italy's Mount Etna erupting


気象庁によれば、活火山とは、「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」のことです。我が国には、111の活火山があります、とあります。

この図のように、日本はまさに火山列島です。私は、浅間山と草津白根山の近くの草津町で生まれ、育ちました。小さい頃は、浅間山が何回噴火したことを記憶しています。草津白根山はそれほど大きな噴火は経験しませんでした。小学校の頃の遠足では火口の「湯釜」という池の周りでお弁当を食べた記憶があります。比較的穏やかでしたが、その後閉鎖となっています。現在はどうかは知りません。前にも書いたと思いますが、二人の同級生がこの場所で亡くなっています。噴火とかではありません。

How many active volcanoes are there on Earth?

There are about 1,350 potentially active volcanoes worldwide, aside from the continuous belts of volcanoes on the ocean floor at spreading centers like the Mid-Atlantic Ridge. About 500 of those 1,350 volcanoes have erupted in historical time. Many of those are located along the Pacific Rim in what is known as the "Ring of Fire." In the United States, volcanoes in the Cascade Range and Alaska (Aleutian volcanic chain) are part of the Ring, while Hawaiian volcanoes form over a 'hot spot' near the center of the Ring.

世界では約 1350の活火山があり、500が実際に人間の歴史の中で噴火しているそうです。日本は太平洋岸の「火の輪」の中にあるということです。地震や洪水とともに火山の噴火では多く人が亡くなり、大きな災害となっています。

Volcano Discoveryというウェブに多くの情報があります。各活火山の現在の活動の様子が見られます。日本でも有名な阿蘇山には次のような情報があります。本日時点は、restless(休んでいない、警戒)というように出ています。直近では、2021 Oct 14 - Oct 20に噴火しています。軽い地震は毎日のようにあるようです。このように、各活火山の現状が随時確認できるようになっています。

九州は、桜島、霧島など多くの活火山があります。昨日には噴火があったという報告があります。報道ではそのような小さな噴火を報道しませんが、大地は常に活動しているわけです。このような分野は、日本では「地学」という科目で馴染んでいますが、英語では、geology, earth science, geoscienceという分野になります。私は、地学は好きな科目の一つでした。分野としておもしろかったですが、高校の担当の先生がずっと板書をしていて、ただそれを写すのが嫌で、あまり勉強はしませんでしたが、記憶力は悪くなかったのでそれなりの成績をおさめていました。それよりも、大陸移動説(continental drift)に興味がありました。現在では、plate tectonicsという分野です。

Plate tectonicsは地球の研究です。宇宙と同様、地球の内部やその活動はあまりよくわかっていません。要するに現物を誰も見ることができないからです。見ることができない、触ることができない、要するに証拠がないから、見られる証拠で類推することになります。そのためのデータとその解析が多くの学問分野のテーマとなります。私の研究も簡単に言えば、確証のないことを経験的に積み重ねて確認したり、人間の行動を見て類推して、できる限り効果的な学習を考えて、工夫を積み重ねています。英語という言語だけを見ていても、英語教育はうまくいきません。その周辺の要素も取り入れて、複雑に考えていく必要があります。

Volcanoesの仕組みはわかっても、噴火(eruption)は予測できないので、その被害は甚大になることもあります。火山の研究はそのようなことも含んで考えないわけにはいかない分野です。地震や洪水もそうですが、この地球は誰もどうなるかわからないような不確定要素が満載です。先日イタリアのナポリ(Naples)のヴェスビオ火山(Vesuvius volcano)の噴火で破壊されたポンペイ(Pompei)を訪ねて、あらためて実感しました。あっという間に都市が破壊され、すべてがそのまま止まってしまったという現実は、確かに今でもそこにあると思った次第です。


夏草や ポンペイはある ナポリ湾 




2025年7月27日日曜日

Crime / 犯罪 2025年7月 27日(土)

日本もなんとなく安全な国ではないのかと思うようになったこの頃ですが、本当にそうなのかはわかりません。私が生きてきたこの70年の中で、幸運なことに、特に大きな犯罪に出会ったことはありません。Victim SupportというWebサイトがあります。犯罪にあった人を支援するイングランドとウエールズの団体です。私は実態は知りませんが、英国はよく行くところなので、たぶんこの活動はありがたいと思います。

犯罪(criminal)は以前よりは多様化しています。巧妙な犯罪もありますが、Victim Supportでは次のように説明しています。

A crime is a deliberate act that causes physical or psychological harm, damage to or loss of property, and is against the law.

There are lots of different types of crime and nearly everyone will experience a crime at some point in their lives. Crime affects people from all backgrounds, locations and ages.

犯罪を定義するのはむずかしいので、この説明は一般的に被害に遭った人を対象にした説明で、害を与える法に反する「意図的な行為」としているのは、理解できます。さまざまな犯罪がありますが、次のような種類に分けています。

Antisocial behaviour, Arson, Assault, Burglary, Childhood abuse,  Crime abroad, Criminal damage, Cybercrime and online fraud, Cyberflashing, Domestic abuse, Fraud, Hate crime, Image-based sexual abuse, Indecent exposure, Modern slavery, Murder or manslaughter, Rape and sexual assault, Retail abuse and violence, Robbery, Rural crime, Sextortion, Sexual harassment, Spiking, Stalking, Terrorism, Violent crime

簡単に言えば、被害を感じるようなものは犯罪ということになります。私には少しわかりにくいのは、Indecent exposure(故全猥褻罪など), Modern slavery(モラハラ、搾取など), Rural crime(田舎特有のもの)などです。いずれにしても、物理的、精神的な害を与える故意の行いすべては、犯罪というように考えて被害者を支援するという活動は重要だと思います。

こう考えると、最近のソーシャルメディアの内容は「犯罪」でしょう。その被害はますます広がるとともに、さらに認定することのむずかしさが出てくると考えられます。それとともに、戦争という行為が犯罪には問われないような仕組みができつつあるのは重要な課題です。戦争などを引き起こす権力者は間接的にその責任は重大ですが、力関係からそれが問われないような構造が出来上がってきています。弱いものは被害を被りますが、強いものはそうならないという社会の構造は昔と変わらないのでしょう。

世界の犯罪率の調査が、Crime Rate by Country 2025に紹介されています。それによると、日本は22.6と犯罪率は低く安全な国と考えられるそうです。しかし、犯罪としては記録されないような行為を加えると、すみごごちがよいとは必ずしも言えないような状況があるような気もします。確かに平和です。治安もよい場所が多いです。外国人がどうのこうのとして「日本人ファースト」がもてはやされるようですが、社会的な不安やストレスが溜まっているような気がしてなりません。

2年前に犯罪率ではワーストの部類になっているSouth Africaを訪れました。比較的治安の良いCape Townで1週間ほど過ごしましたが、ふつうの生活をしているぶんには特に治安が悪いとは感じませんでした。もちろん、そうではないところに行けば犯罪はあるのでしょうが。ロンドンも何度も行きますが、それほど恐ろしいことはなく、夜でも問題はありません。個人的な見解ですが、日本の東京の方が怖い印象を持ちます。

犯罪は発生率や検挙率などももちろん大切ですが、上記の被害者支援の方が私は大切だと思います。被害者や遺された家族などのケアや支援には、犯罪を犯した加害者の更生や冤罪などの支援とともに、より社会は目を向けるべきだと思います。被害者が社会から阻害されるようなことは、平和で安全な国とは言えません。英国は確かに多様な問題がありますが、日本よりは情報が公開され、公正な判断を大切にしているように思います。情報を公開しない、改ざんする、廃棄するようなシステムがいつまでも続く社会は変わっていく必要があります。


夏氷 猛暑も癒す 透明さ



2025年7月26日土曜日

Audrey Hepburn / オードリ・ヘップバーン  2025年7月 26日(土)

私は1954年に生まれました。その年には『ローマの休日(Roman Holiday)』が日本で封切られました。もちろん、私は見ていません。が、たぶん、その後テレビでそれを見ました。それより前に、たぶん、オードリ・ヘップバーン(Audrey Hepburn)というアメリカの俳優を知りました。が、Roman Holidayという白黒の映画は好きな映画の一つとなり、何度も見てきたと思います。さらには、Audrey Hepburnの映画はすべては見ていませんが、主要なものは見ました。彼女は63歳で亡くなりました。考えてみるとずいぶん早くに亡くなったんだなと思います。

Audrey Hepburnという人は美しいのはもちろんですが、かわいいさ、凛々しさ、強さ、可憐さなどなど、セクシーとかではなく、魅力のある俳優でした。Breakfast at Tiffany'sも大好きな映画です。この映画とRoman Holidayは、授業でもよく使いました。しつこさやいやらしさがないので、とても使いやすいからです。逆に言うと、教育的にはあまり意味がないかもしれません。それがまた私には魅力です。

War and Peaceという映画にも出ています。Leo Tolstoyの名作です。高校生の頃に本で読みましたが、内容はよくおぼえていません。しかし、映画はビデオやテレビで何度か見ました。筋はだいたいわかります。小説で読んだときは、あまり印象がなかったですが、映画でAudrey Hepburnが演じたNatasha Rostovaはとても輝いていたと思います。Audrey Hepburnがいきた時代も第二次世界大戦があり、その頃の生活や経験などのエピソードも知り、その後晩年にはソマリアなどにユニセフの活動で出向いたりしたのは、恋多き女性というだけではなく、やはり「生きた」軌跡を残した人だと思っています。

Roman Holidayの魅力は、プリンセスとしての貴賓のある姿と、そうではないふつうのお嬢さんという対比が、とてもよく描かれていて、ストーリーとしてもよくできている映画で、何度も見ても楽しめる映画です。英語も教材としては利用価値のある表現がたくさんあり、声もとても魅力的です。誰かがそれを真似しようとしても真似できない唯一無二(one and only)のものです。

考えてみると、すべての人は唯一無二(one and only)です。しかし、それが他の人にどの程度影響を与えるかは、その人の持っている特性と何をしているかとどう生きているかにかかっていて、さらに、それに加えて偶然の出来事とタイミングによるのでしょう。Audrey Hepburnを見ていると、そう思います。決して幸せであったわけではないでしょうが、自分を生きたのだと思います。私もそうでありたいと思います。


ビール飲む 冷奴と枝豆 うまい





2025年7月25日金曜日

Student records / 指導要録  2025年7月 25日(金)

指導要録という書類があります。幼小中高では児童・生徒の学習や生活の記録を指導要録(student record)として作成する必要があります。書式は各自治体の教育委員会が決めるそうです。が、ほぼ定型の形ができていて、それが何十年も続いています。デジタル化が進んでいるそうですが、どのように、どの程度進んでいるかはわかりません。文部科学省は参考様式を示しています。

現状はどのようになっているかは、私は直接知りませんが、指導要録は年度末に各担任の教員が作成します。最近まで手書きが一般的だったようですが、デジタル化に移行しています。しかし、事実だけを記録として残すことは必要ですが、担任の所見的な記述の部分が多々あります。最終的には校長が責任を負うことになりますが、記入する担任の名前が明記されるので、「誰がその記述を書いたか」は特定されます。また、この指導要録は公開されることはない書類です。つまり、校長と担任以外は見ることがなく、金庫にしまってあります。期限は20年間ですが、学校によっては捨てるに捨てられず保管してある可能性があります。

これは、転校などをする際に学校間で情報を共有することがあります。が、入試などの際に、調査書(transcript)として必要になります。さらには、成績証明書(transcript)として大学などに進学する際に必要となります。これは外国にも当てはまりますが、多くの国では、学習の記録を示すことが求められるので、科目履修(subject)と単位(credit)と成績(academic record)などは必要になりますが、一般的にその他の記録は記入しません。このような書類の元となるのが指導要録です。

教師経験のない人は一生見ることがない書類です。デジタル化もその秘匿性が担保できないとして、うまく進んでいないようなことを聞きました。また、私が高校教員になった50年ほど前と変わらない指導要録がまだ生存していることに驚いた次第です。私の卒業した高校は廃校になりましたから、たぶん私の高校生の頃の指導要録は廃棄されていると思いますが、もしかして残っているとしたら、まったく無意味なものをなぜ残すのか大きな疑問です。

学校は、以前から較べると開かれているし、教員の非行も隠されず公にされるようになっています。生徒の個人情報にも厳しくなりました。通知表もデジタル化し簡便になりつつあります。学習指導要領の改訂も始まりました。指導要録もそれに関連して変わると思います。必要なこと以外はすっきりとすべきでしょう。学習指導要領は、これまでの方針を踏襲し、ますます複雑になっています。改訂ごとに説明会が開催され周知し、周知ようやく終わると次の改訂です。そこには既得権益のようにさまざまな教育関係の企業が群がっています。指導要録の書き方のようなマニュアル本もあります。それって意味があるのでしょうか?


多摩川は 今日も好天 盛夏かな


2025年7月24日木曜日

English only / オールイングリッシュ  2025年7月 24日(木)

English only!

「オールイングリッシュ」という言い方がすっかり定着しています。日本の英語教育では、2000年に入った頃から「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という文部科学省の方針が示されたころから、この言い方があちらこちらで使われるようになったと記憶しています。もちろん、それ以前も、Direct Method (Oral Method), Audio-lingualism, Communicative Language Teachingなど、English native speakerの発想で推奨されてきました。日本語教育では、直接法(日本語だけで指導する)、間接法(学習者の言語も使って指導する)といって言います。当然ながら、日本語母語話者が日本語を教えるので、直接法が基本とされます。

「オールイングリッシュ」は日本語としては何も問題ないですが、英語だとちょっとおかしいと言われます。英語では、English only, only English, all in Englishなどと言うのがふつうです。しかし、最近はある程度定着してきているので、私は構わないと思います。というのは、「オールイングリッシュ」は日本語なので、暗に日本語も使っていいですということになります。結局そんなものです。自分の母語を使うのは自然でやりやすいわけです。母語ではない言語を、その対象となる言語だけで無理に指導するのは不自然です。当然のように、必要な言語を使って学習するのが自然です。活動は、その習熟度などの学習環境によって柔軟に考えるのが大切だと思います。

このような考え方は、EMI (English Medium Instruction)やBilingual Education, Immersion, CLILなどのアプローチでは、次第にふつうに取り入れられています。その中でよく使われるようになった用語でtranslanguagingという英語があります。言語が交差して使われる状況のことで多言語やバイリンガルではふつうに行われているコミュニケーションです。この考え方の基本は、languagingということで、言語は固定したものではなく動的に使われるもので、思考したり、行動したり、反省したりする機能で、単に英語、日本語という対象ではないということです。言語はそのような単一のシステムではなく、言語と言語を渡る言語という総体をtranslanguagingと言っていると考えます。

その意味で、「オールイングリッシュ」は古い考え方です。日本語の脳を英語に置き換えるという思考での言い方です。その方が英語が理解しやすいし、学習しやすいという発想です。しかし、そうではなく、バイリンガルの方が、あるいは、translanguagingの方が効果的とされつつあります。語彙の研究でも著名な言語学者のPaul Nationが次のように言っています。

Translanguaging involves the use of the first language in the second or foreign language classroom. Such language use has been a matter of debate with regards to vocabulary learning, but the research findings are clear. Using the first language to explain the meanings of foreign or second language words is highly effective and has a positive effect on the learning of vocabulary. https://www.tesl-ej.org/pdf/ej103/a24.pdf

「オールイングリッシュ」は、私の解釈では、「英語をできる限り使い、慣れる意味で、授業などでは、教師も英語を使ってください。また、教師が英語を使うことで、生徒もたくさん英語に触れて、使って、学んでくださいね」ということです。強制ではないのです。私は、英語の教員になる際に、そう指導されました。教育実習でもそうして、高校教員になってもそう努力しました。大学でも同じです。その意味で、CLILという学習はよい考えだと思っています。


汗ひかり 入道雲や かき氷







2025年7月23日水曜日

State (public) school / 公立学校  2025年7月 23日(水)

英国のpublic schoolは、public houseと同様に「多くの人に開かれている」という意味で使われ、現在はindependent schoolとなっています。日本の公立校はpublic schoolと言えばいいわけですが、英国を基準にすると、state (maintained) schoolとなります。しかし、学校の設立にかんしては細かく言うと多様です。さて、本題ですが、日本の公立学校の役割について考えてみたいと思います。現在日本には、小中高の公立校の数は、小学校18,669校、中学校9,095校、義務教育校201校、高校3,455校、中等教育校35校(2023年度学校基本調査)あるとなっています。いずれも生徒数は減少傾向にあります。義務教育校や中等教育校は比較的最近の形態ですので、増加しているようです。私は公立高校に勤めていたので、ごく一部の私立校を除いて、公立学校は重要な教育機関で、地域社会ではある程度の位置を占めていたと思います。

しかし、だいぶ以前から私立学校に生徒が行くようになりました。この原因は多様です。私立学校が自助努力して学習の質が向上している、公立学校の環境が低下している、保護者の意識が二極化して、余裕のある家庭が国際化を重視する私立を選ぶようになった、などなどあります。中学校受験、高校受験などの受験システムも一因があると思いますが、私立学校の学習環境がよくなっているという傾向は確かにあるような気がします。公立学校は、小中高にわたって施設面では以前と比較すると決してよくなっていません。

私はこの公立学校の劣化の期間、研究の一環として他国の学校をよく訪れました。多くは公立の学校です。その調査からすると、 IT機器の導入や教室環境などが、明らかに日本が低迷していることをずっと感じていました。私の調査は言語教育にあったので、その点の教育にかんしても、アジアの国々が早期英語教育に熱心だったのに対して、日本はかなり遅れました。また、ヨーロッパ、北米、オセアニアが、多言語多文化を基本に、いくつかの言語を学校で教えるカリキュラムを進めたのに対して、日本は英語一辺倒でした。さらに、部活動や課外活動、学校の特別活動などを含んだ教育活動に熱心な日本の教育は、他の国に較べると、良い面もありますが、教師の働き方に多くの負担を強いる体制があることに気づきました。

私は、そのようなシステムが嫌で、大学に変わりました。自分の研究や実践としてやりたいことができる環境に変わりたかったからです。さらには、外の世界を見たかったので、上記のような学校臨床調査をしているわけです。何度細々とですが、そのような論考を発表したりしましたが、それが変わることなく現在に至っています。

私は、公立学校が教育にとっては基礎であり、それは社会的にも重要であり、公立学校の伝統が失われるのは残念です。公立学校を維持するには、そこで働く教員を大切にすることが一番です。しかし、なぜか私が退職してから、勤務を徹底的にトップダウンにしようとしました。勤務、授業、部活動、書類管理、研修などが厳しくなりました。調整手当や給与面や待遇などは、「働き方改革」のおかげと、教員採用面の課題で、少しずつよくなりつつありますが、教員を取り巻く管理的な面は、社会の信頼回復のために、それほど変わりません。教員の自由裁量はいずれにしても改善されない状況だと考えます。公立学校がより社会的にも教育的にも魅力的な環境になっていただきたいと心より思います。陰ながら応援します。


西日受け 今日も多摩川 歩く日々 





2025年7月22日火曜日

Chronic absenteeism / 不登校  2025年7月 22日(火)

「不登校」という用語がすっかり定着しました。2023年度には、小学生が13万370人、中学生が21万6112人、高校生が6万8770人という報告が文部科学省からありました。しかし、不登校は、英語でtruancy(= the problem or situation of children being absent from school regularly without permission)(Cambridge Dictionary)(学校を怠けて休むという問題)と訳されることが多いですが、実情とはあっていません。最近では、chronic absenteeismと言われています。要するに日本だけの現象ではなく多くの国で同様の現象が、特にコロナ以後に目立っているそうです。

Since the pandemic, we've seen school absence rates rise. Before COVID-19, the overall absence rate was 4.7%. This jumped to 7.6% in 2021/22 and by 2022/23 had only come down slightly to 7.4%. Census data for this academic year will shortly be published, but although daily data shows that progress is being made, there is still a long way to go.(the UK, 03, 2025)

Truancy rates have risen faster in developed English-speaking countries since the Covid-19 pandemic than in non-English-speaking countries, according to a new working paper by UCL researchers. (UCL news)

Chronic absenteeism is trending in the right direction—dropping from its peak of 28 percent in 2022 to 23 percent in 2024—but it remains a significant challenge nationwide. (Future ED)

もちろん、学校教育が受けられないという状況もあるので、それを含めるとかなり多くの子どもが学校には行っていない(行けない)わけです。それとは、この問題は違います。ここで言うabsenteeismは、「学校には(行けるけれども)行かない」ということです。

「第4条 (義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う」(教育基本法)とあるように、日本でも義務教育は保護者の義務です。これは、厳しく解釈すれば、保護者が罰せられる可能性があるわけです。きちんと調査をしていないので、私自身もはっきりとした根拠はありませんが、先進国で、学校へ行かない子どもがいることがふつうの状況になるのは、コロナでオンラインの学習がある程度普及したことが大きく影響します。

日本でもそうですが、多くの国でこのような柔軟な教育やカリキュラムは定着して来ています。学校に物理的に行くということはすでに形骸化していて、大切なことは、子どもが「学ぶ」という機会は提供されることです。その意味で、truancyよりは、absenteeismという言葉が使われ、日本語では「不登校」がそれにあたります。

このことにかんして私が言いたいことは、「学校ってなんでしょうか?」と言う問いです。読み書きと計算ができないという基本的な能力は学校の大きな役割です。それに加えて、さまざまな学びの機会が必要に応じて与えられることが大切です。しかし、現状は、カリキュラム(学習指導要領)があり、それに沿って学習が提供され、それを評価しています。しかし、カリキュラムは、明確な目標に向かった学習を示すことです。日本の場合は「人格の完成」ですが、抽象的でよくわかりません。そのために学ぶ必要があるとすると、学校という場でなくても問題はないでしょう。

そうすると、「不登校」という言葉も不要です。学ぶことを精選して子どもに示し、保護者はそれに責任を持つ、そのための学校であれば、学年もクラスも学校でしなければいけないとされる活動も任意です。義務教育という期間に学ぶことができていないことはいつまでも続ければよいと思います。職業や専門職を目指す場合は、そのために学習を続け、その専門コースをスタートするには、それに必要な学力が必要です。そのようにシンプルな学びの機会を社会は与えていく必要があるでしょう。

不登校生徒の学びの場・鎌倉市に分校型の多様化学校が開校 / 鎌倉市立由比ガ浜中学校

現在の歪んだ受験や塾や予備校も必要なくなり、「名門校」「伝統校」「進学校」などなどのブランドも不要です。社会をシンプルに「学び」に特化できないでしょうか?東大や京大というようなブランドは国際的に見れば何も意味はないのです。「何がしたい」「何ができる」で考えれば、「不登校」などの用語は必要なく、それに関して悩む必要はないでしょう。


不登校 好きなことする 夏土用



 

2025年7月21日月曜日

Classical music / クラシック音楽  2025年7月 21日(月)

クラシック音楽は英語ではclassical musicと言います。なぜクラシックとなったのかはよくわかりません。が、すっかり定着しているので、よく間違えます。

classic = having a high quality or standard against which other things are judged: e.g. classic novel Fielding's classic novel "Tom Jones"

classical music = a form of music developed from a European tradition mainly in the 18th and 19th centuries: e.g. My wife likes classical music but I prefer jazz.

英語では、classical musicはそのまま決まったジャンルになっています。このような例は多くあり、英語を使うときにどうしても間違えます。いわゆる「和製英語」です。

私はそれでもいいと思います。SNS、ノートパソコン、ブラインドタッチ、ミス、フライドポテト、ショートケーキなどなど。詳しくは、和製英語112選をご覧ください。なぜそうなるのか?ということですが、それは、英語が日本語にそれなりに入っているからです。ヘンな英語かもしれませんが、「わからないではない」と思います。たとえば、フライドポテトは、fried potatoはちょっと違いますがあります。shortcakeもあります。微妙に英語で使われている文脈が違うだけで、大きなmiscommunicationにはなりません。これはある意味で自然なことなので、気にしないことです。classic musicと言っても、それは大きな問題ではありません。

日本だけではないかもしれませんが、言語にかかわる人は正確さに厳しいです。私自身も英語教師の端くれですので、厳しいです。語彙だけではなく、発音や文法もそうです。しかし、現在は、EFL (English as a Lingua Franca)の時代です。英米だけがモデルではありません。シンガポール、インド、アフリカなどあちらこちらで英語は公用語になっています。英国でもロンドンなどは多言語多文化です。合衆国ではスペイン語もほぼ公用語です。世界は多言語多文化で、英語は便利な言語となって、多様に使われています。pigin, creoleなどという時代ではありません。

話がそれましたが、私が一番好きなclassical music は、Johann Strauss IIの「美しく青きドナウ: An der schönen blauen Donau (The Blue Danube)」です。昨年亡くなられた神保 尚武先生が草津温泉での夏のコンサートに案内してくれた頃から、classical music をよく聞くようになりました。それから、ウイーンに行くと楽友協会でコンサートを聞いたり、街の中でちょっとしたコンサートなどにも寄るようになりました。この「美しく青きドナウ」は、それから毎年正月はNew Year Concertをテレビで見て聞いています。いつか実際に訪れたいと思っています。


草津にて クラシック聞いて 雲の峰





2025年7月20日日曜日

Dream / 夢 2025年7月 20日(日)

明恵上人は夢を記録しました。『夢記』は明恵上人の覚書のようなもので、夢や実際の記録が書かれていたようです。全てはもちろん読んでいないので、そのほかの資料で知っている程度です。夢にはもちろん興味があり、ユングやフロイトなどの夢分析は少し読んでいたので、夢自体には人のこころを癒す何かがあるのはもちろんであり、意味があると考えています。

私ももちろん夢を見ます。年齢がいけば行くほど眠りが浅くなり、夢は限りなく見ています。が、起きるとすぐに忘れます。総じて、現在の生活や過去のできごとと関係することで、ほぼ脈絡のないことでとても記録できることではありません。しかし昨日か今日の朝に見た夢はおもしろかったのでおぼえています。それは、

あるホテル(?)に泊まっていて、エレベータに乗ります。乗っているうちに、どこで降りるかわからなくなり、降りるところの階を押すのですが、何度も間違えてしまい、そのうち、下の階に戻ろうと思います。が、それも間違えてしまい、結局どこだったかも忘れてしまいました。そうこうしているうちに、とりあえず降りて階段で行こうと思いますが、部屋を間違えたり、とんでもない場所に行ったり、いろいろな人にそこで会い、何かしている間に、何しているのだろうと考えているうちに目が覚めます。

これは、過去のどの記憶にもない場所です。出てくる人も何人かわかりません。ホテルと書きましたがドアもないような場所です。ホテルだと思ったら、何かの会場だったりしました。私の脳が勝手に作り上げているのだと思います。あえて分析すると、ずっと閉じられている空間から出られなくてあたふたしているような意識があります。何か閉塞感のようなストレスがあるのかもしれません。上手く行かないことが溜まっているという予兆かもしれません。

Internet上にもたくさんのdreamに関する記事があります。たとえば、Dreams: Why They Happen & What They Meanでは、

  • Dreams are mental, emotional, or sensory experiences that take place during sleep.
  • Dreams are the most common and intense during REM sleep when brain activity increases, but no one knows for sure why we dream.
  • Dreaming is normal and healthy, but frequent nightmares can interfere with sleep.
  • Waking up gradually and journaling your dreams may help you remember them better.

その中で夢の目的(意味)について次のような仮説が紹介されています。

Building memory(記憶を定着させる)

Processing emotion(情緒を管理する)

Mental housekeeping(感情を整理する)

Instant replay(直近の再現)

Incidental brain activity(脳の活動の副産物)

夢は少しずつ脳の研究からその機能は少しずつわかってきましたが、なぜ脳はそのような活動をするのか、その意味は何かなどほぼわかっていません。証拠と言えば、脳や血流がある反応をしているということだけで、その証拠はその人の認識でしかないわけです。簡単に言えば、存在はしていない危うい状況の報告でしかないのです。

誰もがその経験があるので、「ある」としか言えないのですが、それを示すことができるのは記述の記録です。それに意味があると考えてもおかしくはないでしょう。私自身の経験的印象は、夢は、脳が目的もなく作っている像や断片的な話という気がします。それ自体には何も意味はなく、意識のある生活の中で見聞きした体験を加工して生成しているもので、記録のできない脳の活動のような気がします。眠り自体は意識的な活動を停止する休息期間ですが、脳自体の休息は意識的な活動を補完する活動のような気がします。日頃抑圧しているようなことが夢に出てくることもあります。明恵上人や夢を記録する人は、次第に自分自身の夢を想起することに慣れてくるので夢を記録して分析することができるようになるのでしょう。それをしない人でも、夢自体の記憶は明確ではなくても、夢は現実世界を補完し、脳の働きのバランスをとっているように考えます。

年齢が増すに従い、夢をよく見ます。だいたい3時間か4時間で目が覚めます。すると、夢の続きを見ます。その際には意思が働きます。どんな夢も脈絡はありません。後で思い出しても、ほぼ断片的ですが、続きは見ます。ときどき夢か考え事をしているのかわからない場合もあります。言語もあいまいです。イメージだけが展開しているような場合もあります。出てくるものや人も明確ではありません。外が暗い場合は夢も暗いような気がします。

それはさておき、最近は朝起きると、今日も「生きた」と思うのです。


夕方に セミが鳴かずに トンボ舞う



2025年7月19日土曜日

Naked heart / 裸の心 2025年7月 19日(土)

あいみょんという歌手の「裸の心」という歌を微かに聞いたことがあり、気になったので歌詞を確認してみました。

いったいこのままいつまで

一人でいるつもりだろう

だんだん自分を憎んだり

誰かをうらやんだり

いつかいつかと

言い聞かせながら今日まで

沢山愛してきた

そして今も

この恋が実りますように

少しだけ少しだけそう思わせて

今、私恋をしている

裸の心かかえて

バイバイ愛しの思い出と

私の夢見がちな憧れ

優しくなれたよ少しね

強くもなれたみたい

どんな未来も

受け止めて来たの今まで

沢山夜を越えた

そして今も

この恋の行く先なんて

分からない分からないただ思いを

今、私伝えに行くから

裸の心受け止めて

恋なんてしなきゃ良かったと

あの時もあの夜も思っていたの

今、私また恋をしてる

裸の心震わせて

この恋が実りますように

少しだけ少しだけそう思わせて

今、私恋をしている

裸の心抱えて

それほどむずかしい歌詞でもなく、そのままです。が、裸の心というのが、どういう心なのかと思いました。そのまま英語にすると、naked heart となります。「正直な、むき出しの、そのままの」というような意味でしょうね。ストレートな気持ちがそのまま伝わってくるいい歌です。YouTubeを見ると、同じタイトルの歌はけっこうあることを知りました。共通の思いがあるんだと思いました。

この日記でも「こころ」は取り上げています。phenomenologyもそうです。文学でも宗教でも心理学でも哲学でも探求され、あらゆる分野で探求されていますが、身近にある一番不思議な対象です。恋愛という行為もよくわからない生物の行動です。性的行動だけということでもなさそうです。「推し」ということにもつながりますが、一歩間違うと憎しみの対象ともなります。

歌というのは、歌詞と曲と誰がどう歌うかなどなど、さまざまな要素で、まったく受け取り方が違ってしまいます。私は教育的な分野に長くかかわってきました。その点から「こころ」は重要だと思っています。同じ授業はほぼないと言えます。相手があることは、同じようにアプローチをしても同じにはならない可能性が高いので、そこに「こころ」が何かしら大きく作用します。あいみょんの「裸の心」の思いはあいみょんの歌にしかなく、その意味はあいまいですが、人の「こころ」は響くのだと思います。私にも私なりに響きます。財津和夫もEd Sheeranも違ったかたちで響きます。


梅雨が明け 麦わら帽子 かぶり行く






 

2025年7月18日金曜日

Transcendental phenomenology / 超越論的現象学 2025年7月 18日(金)

このビデオの方法論が適切かどうかは判断できません。が、超越論的現象学(Transcendental phenomenology)は、フッサール(Husserl)が提唱したことです。私は自分の研究をする上で大いに参考にしたいと思っている研究方法です。自然科学などの発展により、実証研究(empirical research)が研究の主流となり、実際の調査や観察から得たデータをもとに、仮説を検証し、結論を導き出すという、いわゆる科学的アプローチが主流の頃のことです。第 1次世界大戦から第2次世界大戦というヨーロッパでは最悪の期間に、ユダヤ人のフッサールは考えました。

現象学は、事実そのものではなく、事実から起こる人が関与する現象を扱うということです。現象は、人を介して物事を把握することで、自然科学的事実とは当然異なるわけですが、考えてみれば、人はそれで生きているわけで、自然科学的に生きているわけではありません。当たり前と言えば当たり前ですが、その方法論的な思索のあり方を示そうとしたのが現象学と理解しています。しかし、それでもよくわかりません。エポケー(epoche, bracketing)、ノエマ(noema)、ノエシス(noesis)、志向性(intentionality)などが特徴的な用語です。簡単に言うと、誤解があると思いますが、人の意識は志向性があり、その意識の対象とプロセスを余分なことを削減して(横に置いておいて)、すっきりとした現象を抽出するプロセスを現象学と考える、と言えるかもしれません。

このプロセスを「超越論的」と言っているようです。人のそうような意識は、transcendentalは、a priori(人の経験に先立つものと考えて)とほぼ同じように捉えて省略し、より大切な志向性のある意識を現象として理解するわけです。しかし、このプロセスは、そう簡単にはできません。というか、その「還元(reduction)」という意味はわかりますが、そのプロセスは、それぞれが考えるしかないのでしょう。具体的なプロセスは明確ではありません。おそらくそれは明確にはできないのでしょう。

しかし、現象を的確に理解し、それを検証しようとする方法の基礎づけはできているような気がします。自然科学が変数(variables)として排除した人の意識や認識を理解しようとする試みは、ある面で成功したと考えてもおかしくはないでしょう。現象をプロセスとして見て、人の生き方を余分なことをそぎ落として現象をすっきりさせていくことで、何かが見えてくるだろうと考えるというのはわかりやすいが、それは「超越論的」なのでしょう。

うまく説明できませんが、私はこのフッサールの考え方は好きです。自分の研究でも基本にこの現象学の考え方を応用しています。ただ現実的な方法としては、自分自身の思考と観察の記述と対象の現象の表象を明確に整理することです。また、ひとりで思考することでは、やはり「還元」はむずかしいので、reflexivityということを大切にしています。

ただここで言いたいことは、「超越論的」とか「還元」という日本語があまり好きではありません。transcendentalやreductionと英語のほうが元のドイツ語には近いので、まだ理解できます。transcendentalあるいはphenominologicalは、empiricalに対する用語で、reductionはanalysisやsynthesisに対する用語です。 日本語で「超越論的」は何か絵空事のような印象を持ちます。また、「還元」はやはり元の形に戻ることという意味で使われているようですが、「単純化する、削減する、スリム化する」という意味のほうが近いと感じています。

このビデオは私の理解とはちょっと違いますが、なんとなくわかります。まだ自分の中では整理できませんが、私の探求はおそらく「現象学」が一番すっきりします。それは質的研究でもあります。教育は科学的にということは理解できますが、それだけでは解決できないことが多すぎます。AIが発達しても教育のすべてが解決するわけではないので、現象学のようなリサーチがもっと日の目を見ることを期待します。


昼寝して 現象学が 見えてきた