教師という仕事は複雑です。教師という仕事は誰にでもできるし、誰でもが社会の中では教師として機能しています。教師ということばは簡単に言えば「教える人」のことです。この日記でも折に触れ教育を語っています。理由は、私自身がそれにずっとかかわって、いまだにかかわっているからです。自分をふりかえればよかったと思います。人にあれこれ指図されず、利潤を追求する必要もなかったし、いつも若い人たちと接してこられたのは幸せでした。それと、英語教育などの自分が学びたいことに携われたことは後悔していません。しかし、現状の「教員不足」の問題は残念でなりません。
【教員志望が減】実習で“教員にならない”決断も 長時間労働で“なり手不足” 倍率は過去最低
公立学校の教員採用試験の倍率が低調だったと新聞報道にありました。採用試験を前倒ししたり、教職調整額を上げたり、労働時間を削減したりなど、働き方の外形が盛んに議論され、本末転倒だと思います。おそらくますます悪化していくだろうと思います。
大切なことは何かということをもう少し議論して改善したほうがいいと考えます。それは、教育の本質でしょう。教育は何のためにあるのか、何を目指すのか、教育の何が大切なのか、多くの人が望んでいる教育とは何かなど、きちんと議論して実践することです。教師の役割は、教育政策をただ具現化する人でもなければ、学校の目標を実現するための歯車でもありません。教師は私企業の会社人でもないし官僚でもないのです。
法的にどうのこうのと言っても解決にはなりませんが、教育基本法では、
第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。
とあります。教育基本法はまっとうなことを言っています。
私なりに解釈すると次のようになります。
教育にたずさわる教員は、学ぶ人に対して責任のある仕事です。教員は、その責任の感じ、必要な知識や技能を高め、そのための時間や機会を保証され、学習者の一人として児童・生徒ともに間違いながらも、いっしょに考えながら、教育の最前線で活動することに生きがいを感じることができる人と思います。外形ばかりに目を向けるのではなく、実質を大切にしてもらいたいです。
小学校、中学校、高校、大学という教育の場は、退職した今では、少し外側から見られるようになりました。多くの教師はそのために努力して楽しんでいます。しかし、楽しめない教師もそれなりにいます。その背景は、労働時間や給料などではなく、職場環境や人間関係や児童・生徒との向き合い方の問題です。「働き方改革」というのは、量ではなく質の問題として解消していくことが課題だと思います。関係ない人が議論していても埒があかないでしょう。
私が思うには、教師の裁量を柔軟にし、教師が自律して教育に向かえるようにすることが大切だと思います。教育は効率化や合目的的にしても上手くいきません。学びは多様で自由に柔軟に、社会は公平に、誰一人取り残さないインクルーシブを基本とするのが、世界の教育の流れです。教師はAIではありません。むずかしい問題ですが、次のビデオの人が本当にその後も楽しく生き生きと活躍できることが解決の糸口と思います。
「先生になって2カ月、四万十市の学校で毎日奮闘中!中村中学校の新人教員に密着!」
文部科学大臣メッセージ
先日文部科学大臣の不登校児童や保護者に対するメッセージがありました。言っていることは正しいことで批判するわけではありません。が、文部科学省の上意下達的な姿勢が教育を歪めている可能性があります。文部科学大臣の声が教育委員会に伝わり、校長から各教員へ、ということではなく、一人ひとりの教員の自主性や自律性を尊重していただくことが改善への一歩だと思います。
ちょっと長くなりました。
騒げども 教師の仕事は 冬めける