2025年3月9日日曜日

Lived experience / 生きた経験 2025年3月9日(日)

このビデオは女性の生々して経験です。このような経験の共有の積み重ねはとても大切だと思うし、共感します。このようなことを私は大切に考えていきたいと思います。

この日記の当初のタイトルは「生きた Lived experience Erlebnis Perezhivanie」でした。Lived experienceは学術的には「生きられた経験」と訳されています。特別な意味を示すためにそうしたのだと思いますが、私にはどうも納得がいかない日本語です。直感的に馴染みがない言い回しです。無理に日本語に訳す必要はなく、ドイツ語のErlebnis(アレブニス)、ロシア語のPerezhivanie(ペレズヴァニ)などの用語をそのまま使う人も増えています。

ちなみに、Lived experienceは、Cambridge dictionaryによれば次のように説明されていて、いくつか例文も示しています。

the things that someone has experienced themselves, especially when these give the person a knowledge or understanding that people who have only heard about such experiences do not have:

  • The organization has a strong focus on the lived experience of mental illness.
  • We are ignoring the actual lived experiences of the poor.
  • All the candidates for the job have lived experience of the asylum process.

この英語の定義によれば、「自身が経験したことで、特に、その経験したことが、聞いたことはあるが経験したことのない知識や理解を自身が深めるときの経験のこと」と説明しています。まどろこしい言い方ですが、「自分自身が経験(体験)したこと」であることは間違いありません。例文を見ても、「自分自身の経験や体験」と解釈してよいと思います。

そう考えると、「生きた経験」で特に何も問題ないと考えます。現象学では、この「生きた経験」に注目しています。私の研究や実践の対象は、多様性のある実践的な言語教育です。私の領域では、英語と日本語を中心とした多言語多文化教育を視野に入れていますが、とりあえずは、英語と日本語のバイリンガル教育で、CLILという統合学習です。このような学習の「生きた経験」に興味があります。この日記のタイトルをautoethnographyと変えたのもそのことが少し明確になったからです。自分の志向性(intentionality)を表すには、そのほうが適切と判断しました。それも具体化(embodyment)して記述するということを目指しています。

私自身の「生きた経験」を、そのまま記述していくことで少しずつ変化し成長することを願っています。それは「阿留辺畿夜宇和」とつながるのです。


風光る 生きた経験 ここにあり