Japanese School Club Activities / Benefits and Related Social Problems
日本の学校の部活動は実に日本的な活動です。他の国ではあまりないボランティアの活動です。もう何十年も不明確な状況で続いています。なぜかわかりませんが、誰も文句が言えない状況で、最近になって「働き方改革」の一環として、また、教師や教育研究者などから強く意見が出され、さらには、教員の成り手不足、不人気などから、ようやく制度をきちんとしようとし出しました。しかし、問題はそう簡単ではありません。
解決の糸口は、学校から地域に部活動の運営を移すという方策です。しかし、学校の制度にもクラブ活動や課外活動は位置付けられていて、部活動を学校からそう簡単には移せないのが現状だと思います。学習指導要領に「特別活動」という章があります。なぜかこの章は重視されている傾向があります。というか、日本的な教育の特徴を表しているかもしれません。これがある限り、部活動の地域移行や学校活動からの除外はありえないはずです。
「特別活動」の目標は次のようになっています。
集団や社会の形成者としての見方・考え方を働かせ,様々な集団活動に自主的,実践的に取り組み,互いのよさや可能性を発揮しながら集団や自己の生活上の課題を解決することを通して,次のとおり資質・能力を育成することを目指す。
⑴ 多様な他者と協働する様々な集団活動の意義や活動を行う上で必要となることについて理解し,行動の仕方を身に付けるようにする。
⑵ 集団や自己の生活,人間関係の課題を見いだし,解決するために話し合い,合意形成を図ったり,意思決定したりすることができるようにする。
⑶ 自主的,実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして,集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに,人間としての生き方についての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を養う。
この「特別活動」の中には、クラブ活動(小学校のみ)、学級活動、ホームルーム活動、児童会、生徒会、入学式、卒業式、修学旅行などさまざまな活動があります。よく見ると、日本の教育の特徴をよく示しています。かなり柔軟な活動で授業時間数としては35時間を割り当てられていますが、おそらくそれでは数えることはできない活動です。多くの生徒にとっては、学校活動として非常に記憶に残る活動で、これらを抜きにしては学校はありえないかもしれません。
私自身が高校教育に従事している際も、この特別活動にはやりがいも感じました。が、その分負担となる活動でもありました。日本の教師の仕事が、いつの時代からかわかりませんが、この「特別活動」を重視するようになりました。それは世界共通ですが、なぜか日本は過剰です。この背景は複雑です。労働運動が盛んだった頃、教師の政治への関与を求める運動がありました。組合を中心にイデオロギー、給与、労働などについて組合を中心に運動がありました。私も参加したことがありましたが、学校が生徒の非行や暴力で荒れていた時期に、部活動に全生徒が参加するなど、なんとか生徒が学校に関心を持つ一つの対策として推進したことがありました。私もそれには同調した時期がありました。高校生が学校活動に後ろ向きになって、荒んでいる姿を見ると、部活動に集中し更生する姿は一つの対策として有効と感じていました。つまり、働き方がどうのこうののとか言うよりも、教師として生徒に向き合うことが大切と感じていたと思います。
School Club Activities in Japan Japanology
学習指導要領には、「部活動」について社会の批判を受けて次のような文言を入れてあります。
教育課程外の学校教育活動と教育課程の関連が図られるように留意するものとする。特に,生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,学校や地域の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行い,持続可能な運営体制が整えられるようにするものとする。
作文です。行政が責任逃れをするための文言です。現在は、マスコミの批判、教員(なり手)不足などにより、部活動のあいまいな位置付けをなんとか解消しようとしていますが、おそらくうまくいかないでしょう。理由はいくつか考えられます。
教師の仕事が、本来の学びの支援に特化する必要があります。教師の資質が揺らいでいます。大学の教員養成が形骸化していることが大きな要因です。それぞれの専門の学習が不足する人が教師になっている現状は否定できないからです。必要のない教職科目が多く、特別活動、道徳教育、総合的な学習などに関する実践が重視され、専門科目の知識や指導実践の内容が不足しています。たとえば、英語教育においては、近年の言語学で重視される応用言語学や第二言語習得やバイリンガル教育などの科目が軽視され、従来の英語文学や言語学だけが焦点を当てられています。以前、大学教員の頃かかわった教職課程再課程認定申請において、「第二言語習得」という科目を申請したら認められませんでした。理由は定かではありませんが、「英語科教育法」でカバーできるという理由だったと思います。
「部活動」についてはもっと複雑です。教師の中には、部活動を担当するために教師になった人が多くいます。マスコミはなぜかそのような声を拾っていません。私が教職課程に携わっていた頃は、中学生や高校生の頃の部活動がもっとも印象に残っている活動で、先生になりたい理由になっていました。部活動自体を面倒見ることは、楽しいことで、充実感があります。部活動に専心することは、授業実践にも役立ち、そのほかの仕事にも役立ちます。部活動が負担に感ずるのは「やらせられた」ときです。「部活動」自体は、教師が主体的にかかわる必要はないとされています。生徒が自主的に行う活動だからです。負担となるのは、土日や休日の勤務です。大会などで行かなければいけない、引率の責任も生まれ事故があれば教師の責任です。この辺りが誰も責任を取ろうとしないシステムの瑕疵が最大の問題でしょう。
文部科学省がすべてを中央集権的に管理したいのならば、その点を誤魔化さずにスッキリさせる必要があるでしょう。そうでないならば、各スポーツ団体、各文化活動団体などが、学校の「部活動」にかかわるイベントを学校とは関係ない事業として実施することでしょう。このような活動は社会的にも重要で、教育的です。が、現在のように教師の関与を義務としないことです。現在でも教師のボランティア(強制的)ですから本来のボランティア活動として実施しなければいけません。やりたい人はたくさんいます。もしやりたい人がいなければやめるべきでしょう。
部活は、無駄か?|【部活やろうぜ!】 SPECIAL MOVIE
それが自然です。
学校は ゴールデンウイーク 部活動