2025年1月12日日曜日

吉川英治の『三国志』 2025年1月12日(日)

人間の記憶はとてもあいまいだと気づきました。吉川英治という人が書いた『三国志』は、大好きな話で、大学生の頃に読んで感銘を受け、ことあるごとに桃園の儀(劉備、関羽、張飛)の友情(人の和)を、自分の信条の一つとして生きてきました、と考えていました。が、最近読み返してみました。驚いたことに、私がおぼえていたかなりの部分がまったく違っていました。大筋はそれほど違いませんが、個々の場面はほとんど記憶になく、勝手に「天の時、地の利、人の和」(天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かずー孟子)を心がけていました。 

冒頭の吉川英治記念館は50年くらい前に訪れました。吉川英治は学者ではありません。司馬遼太郎とは違います。私は、彼の視点が好きです。『三国志」の魅力はたぶんそこにあったと思います。『三国志』は、中国には後漢の滅亡後の戦乱の時代があり、魏・呉・蜀の三国が争う時期(220年~280年ごろ)の話です。諸説ありですが、私は吉川英治の『宮本武蔵』とともに大学時代に読み、感銘を受けました。長い話ですから、詳細はおぼえていなくても仕方がありませんが、関羽や張飛のさいごは記憶が違い、曹操と孫権と劉備の関係性については理解が乏しく、諸葛亮の兄、諸葛瑾や鳳雛と呼ばれる軍師、龐統についても記憶がなく、劉備が蜀を成立させるのに相当の年数がかかったことも思い違いをしていました。記憶にあったのは、桃園の儀から蜀を起こすプロセスだけでした。

それでも、吉川英治の『三国志』が、私に与えた影響は絶大でした。考えてみれば戦前の風潮を反映したような部分もあり、改めて読むと、どうしてそれほど感銘を受けたのか分かりません。横山光輝の漫画も評判ですが、まったく読んでいません。そのほかの『三国志』の話もあまり好きではないし、関心もありません。ただただ「人の和」が好きでした。お互いの夢や目標を達成するために集まり、死ぬまでそれをやり通すということは、おそらく至難の技でしょう。それぞれが不完全な部分がありながら、互いを信頼し、補い合い、苦難をその志のためだけに進む姿が、若い私に響いたのだと思います。

今思い返せば、現実はそうとはならないし、物語自体もそんな単純な話ではなく、史実を元にしているので、一貫性は担保できません。改めて読んでそう思いました。部分的にある部分を美化し記憶をいいように操作していたんだなと思いました。

それよりも、衝撃的だったのは、私の記憶のいい加減さと50年の歳月の長さはすべてを変えているのだと実感しました。研究者として、事実と意見(思考)は分けて議論(考察)する必要があることは認識していますが、人間はそうもいかない生き物だと思います。やはり少しずつ自分が生きやすいように調整して、長い時間の間に大きく変化してします。「歴史に学ぶ」と言いますが、歴史は事実とは違って伝えられるのです。自然科学も同様です。絶対的な真理は果たしてあるのかと言えば、必ずしもそうではないということを常に冷静に判断する必要があります。

このビデオは相当に古い時代の映像で、出所はよく分かりません。おそらく三十年以上前のものだと思います。はっきりとはわかりません。中国には何度も訪れていますが、研究のためで、このように縁を訪ねた紀行ではありません。いつか行きたいと思っていますが、現状の中国と日本の政治的な関係は懸念します。しかし、中国の人や自然にはかなり興味があります。

吉川英治の『三国志』は、読んでみてよかったです。自分のいい加減さ、すべては変化する、こころも変化する、諸行無常ということを教えてもらいました。やはり吉川英治の『三国志』は私の指南書です。とかく諸葛亮孔明が取り上げられますが、私にとっての興味は、最初に述べたとおり、桃園の儀(劉備、関羽、張飛)の友情(人の和)に尽きるのです。


三国志 桃園の儀に 冬の星