Book Review | Sanshiro by Natsume Soseki
夏目漱石は、私の世代の人ならば誰でも知っている作家です。今回は、『三四郎』について書きます。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』などとともに初期の作品で、いまままでちゃんと読んだことはなかった小説です。なんとなく話は知っていましたが、今の時代にはとても合わないかと思いましたが、意外に読んでみると新鮮な驚きがあります。
『三四郎』の冒頭は次のように始まります。
うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。...
三四郎が、熊本から東京に出てくる場面から始まります。小説は、その東京で三四郎が経験する様々な経験を描いています。話は単純であるが、その人生模様の描写が、巧みなプロットと文体で物語られています。この冒頭の部分だけで、背景がよくわかり、話がどう展開するのかが予想されます。田舎から上京する青年が、ドロドロとした世俗的な世界から、教養ある洗練した学問の世界へと入りながらも、そこでうまく表現できない感情に揺れる微妙な様子を、淡々と描いています。特に事件が起こるわけではないのに、東京大学周辺の環境を舞台に、日本語でうまく描いていることが、その世界に引き込みます。
東京大学にある有名な「三四郎池(育徳園心字池)」に行くと、美禰子との出会いが想像できます。三四郎が彼女を池の辺りで見かける場面はこうです。
ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。...
感動的に描いているわけではないが、この出会いから物語が展開し、「迷える子(stray sheep)」が二人のキーワードとなります。この展開には多様な意見がありますが、私は単に三四郎のような経験を他の人たちも大なり小なりするので、共感を与えるのだと思います。誰もが迷って生きているということでしょう。変に感情的に描くのではなく、静かに描くが、その背後に人間の複雑な感情や思考が、的確に描写されているのは、漱石という人はすごいと思わせます。「三四郎」のテーマは、人によって印象が違い、多くの人がそれぞれの分析をして議論されています。私は単に構成上の巧みさが、漱石という作家を偉大にしたとは思いません。というよりは、文章がとても上手ということが、やはり後世まで多くの人に読まれている要因だと思います。
【朗読】夏目漱石『三四郎』語り:西村俊彦
最近は、このような小説を朗読で聞く(読む)ということをよくします。自分でも黙読するのは違う感触が得られます。つまり、メディアが違うと理解も変わります。朗読をする人によってもたぶん変わるのでしょう。私は、英語の舞台が好きです。特にShakespearは読んでもわからなかったことが、舞台を見たらよくわかることがたびたびありました。その点から漱石の小説は、読むよりも聞くほうがいいのかなと思います。「ごゝろ」もそうでした。漱石はその意味で何度読んでも何度聞いても味わいのある作品が多いと勝手に思います。死ぬまでにすべてを再度聞きたいと思っています。
迷い道 三四郎池 朧月