History of ELT Methods and Approaches
英語教育(ELT: English Language Teaching)は、私の教育と実践の中心を長く占めていた研究分野です(でしたかもしれません?)。日本の「英語教育」は世界でも長い歴史を持つ分野です。江戸時代の末期から今日まで150年ほどの歴史があります。このような英語教育史の研究も伝統があります。私の恩師の一人である大村喜吉先生の『斎藤秀三郎伝』 や『漱石と英語』などを思い出します。大学時代からおもしろく聞かせてもらいました。高梨 健吉 先生と大村 喜吉 先生の『日本の英語教育史』は、ときどき参照しています。どれも貴重で、50年以上も前の著作ですが変わらない状況がよくわかります。
英語教育史は一時期興味があり、英語教科書に見るスコットランドの影響について調べたり、『日本の英語教育200年』を書いた伊村元道先生の依頼で、エディンバラのArthur Conan Doyleの足跡を辿って、現状はどうなっているかを20年くらい前に調べたことがあります。岡倉由三郎の『英語教育』は、だいぶ以前に本を手に入れ、きちんと読みました。いまから考えても参考になることが書かれていた記憶があります。論文にも書いたりしましたが、大学を退職する際に、いつの間にかその本が紛失してしまいました。思い出すたびに今でもショックです。伊藤健三先生の蔵書で、島岡丘先生が持っていましたが、その蔵書を筑波大学に移動する際に私が預かることになったものです。残念。
英語教育史のことを書くと長くなるのでやめますが、ここで書きたいことは、今までも変わらない「英語教育」にがっかりしているということです。私が教員になった頃は、CLT (Communicative Language Teaching)が推進されていました。私も、どうせ学ぶなら使えるように英語を学んだほうがいいと思い、賛同して研究し実践しました。今でもその延長で細々とやっています。あちらこちらの学校を訪れて、授業を見たりしてきましたが、確かに50年前からすれば変わっていますが、根っこの部分は何も変わっていないような気がします。
簡単に言うと、システムが変わらないのです。明治の頃の「英学」から「英文学」「英語学」が発展し「英語教育学」が生まれたという歴史的システムです。教育的には、日本的教育理念と学習指導要領という縛りの強さです。戦争に敗れたことで、変わったように見えますが、このような江戸から明治にかけて定着した日本の教育の柱は、根本的には変わっていないと、私は考えています。西洋に対するコンプレックスとも言えるかもしれません。それに加えて、受験という大きな流れはまったく変わりません。良し悪しは別にして、これは変わらないでしょう。
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私はだいぶ以前にあきらめて、CLILという英語教育の伝統に縛られない学習に期待をかけています。たぶん、それもうまくいかないような気がします。理由は上記の仮説です。言語教育全体は、AIによって大きく変わると予想しています。しかし、英語教育は進歩しないでしょう。AIが進歩することで、人間の言語能力自体は変わらないと思います。しかし、多言語多文化という環境が日本に根付けば変わると思います。バイリンガルは世界のある地域では自然なことで、また、英語が共通語として機能している限り、英語は必要な言語です。必要な人は使えるように学習するでしょう。日本の「英語教育」はそのような自然なプロセスが普及したときに、変わる可能性はあります。
晴れてきた いよいよ夏だ 打ち水だ