明恵上人の『夢記』はよく知られています。しかし、そこで大切なことは40年ほどもそれを記録したことでしょう。この日記も始めてから3ヶ月ちょっととなりました。気楽に始めたことですが、朝に少し時間をとって、見直すことなく書き殴りをすることで、それほど負担にならず続けられています。しかし、40年も続けることはできません。
【じっくり解説】明恵(みょうえ)「鎌倉殿の13人」の時代を生きた希代の名僧【歴史系vtuber】
夢は年齢が増すにつれてよく見ている印象です。というよりは眠りが浅いので、おぼえていることが多いのでしょう。今朝見た夢は目覚めたときはよくおぼえていましたが、これを記録している現時点では忘れました。これまでしてきた教育関係の仕事をしていて、嫌だなと思いながら目が覚めて起き、寝床で起きる準備をして携帯や本などを眺めているとすべて忘れます。ただ夢を見たという記憶だけが残ります。
明恵上人が夢を記録したのは、たぶんその貴重な夢に関連する事実と思考を記録して修行の一つとしたのでしょう。釈迦とつながら自分の思考を整理していたのではないかと思います。人生の中でずっと仏教の道を歩き、仏教を通じて、釈迦に近づこうとした一途な生き方が多くの人を引き寄せたのでしょう。宗派などを起こさず、「阿留辺畿夜宇和」を追求したということだと私は勝手に思っています。
『夢記』自体の中身には私はあまり興味はありませんが、夢と言えば、 Sigmund FreudとCarl Jungのことがすぐに浮かびます。今日の心理学、精神分析学にとって、その礎を作った重要な二人です。私は若い頃Jungをよく読みました。河合隼雄などもよく読みました。集合無意識やマンダラなどの考えなどに興味を持ちました。Jung はいわゆる西欧的な科学にもとづくアプローチではなく、東洋的な考え方をする人だと思いました。それに対して、Freudはいわゆる科学的な姿勢を貫いた人だと思います。データをもとに人の心的活動を記録し分析して分類したのだと思います。夢は分析の結果と解釈で治療に結びつけたと思います。Jungは明恵と同じように自己を分析し、その自己の経験から夢を解釈していきました。夢はそのような総合的な人の心的活動の産物と理解していたのではないかと思います。
これは、私の勝手な理解で、そのように、明恵、Freud、Jungを理解し、私の思考の安定を図っています。
さて、夢ですが、Freudは、"I must affirm that dreams really have a meaning and that a scientific procedure for interpreting them is possible."と言っているそうです。Jungは、"The dream is a spontaneous self-portrayal, in symbolic form, of the actual situation in the unconscious…The dream is specifically the utterance of the unconscious."と言っているそうです。微妙に違いますが、いずれも夢には意味があり、人のこころの一部で、それを解釈することには意義があるということを言っています。私もそう思います。
"The Interpretation of Dreams" by Sigmund Freud | Book summary in 2 minutes
Carl Jung | Dream Interpretation and Symbolism in Dreams
こころは、脳の活動の一部であり、見えないものです。見ようとして見える人は自分しかありません。自分の経験を記録としてことばにして、解釈しようとすることは、何かの役には立つと思いますが、その作法やコントロールをうまくすることが大切だと考えています。その点から、私は夢を記録して追求しようとは思いません。私の場合は、生活の中で経験する種々雑多な複雑な思いを、ちょっと沈めてくれるのが夢の働きの一部と考えて、夢の全体的な印象だけを大事にします。その意味で、最近はよく夢を見ます。
夢の中 師走近くに 探しもの