2025年6月14日土曜日

Learnercentredness / 学習者中心 2025年6月14日(土)

 本来の学びに向かう動機づけにかかわる次の提案は、「学びの主役は生徒一人ひとりにある」ということです。これは誰もが賛成することですが、実態はやはり教師の姿勢に大きく影響されます。

How to Set Up a Learner-Centered Classroom

私は、高校の教師を18年、大学の教師を、忘れてしまいましたが、2022年までやっていました。長い間、生徒中心の授業を心がけてきましたが、実態は、教師中心でした。反省しています。が、日本の教育システムでは、そうしないわけには行かない実態があります。高校教師の頃は、学習指導要領があり、教科書があり、成績をつけるという作業があります。さらには、大学進学指導や就職のための内申書を作成しなければいけません。英語教師としては熱心なほうだったので、研究もし、実践もしました。教師が主体的に動かない限り授業は成立しません。

それでもできる限り、生徒が主体的に活動できるように努力はしました。あるときは、1年間、LL (Language Laboratory)の授業だけを担当したことがあります。活動するプログラムをつくり、ビデオを見たり、生徒が自主的に活動する場面を用意しました。しかし、結局は、私が主体でした。また、あるときは、映画を授業の題材として使い、映画の中で使われる英語表現の推測やどのような場面で使うかなどを、生徒中心に展開しようとしたことがあります。これも楽しい授業でしたが、結局、私が主役でした。

大学に転職して医学部学生を対象に学生中心の授業を心がけました。特にカリキュラムで到達目標もなかったので、学生のニーズ分析のもとに、医療関係の題材をコミュニケーション力の育成を目標に展開しました。 NSの教員と共同で様々なことを試してみましたが、やはり学生主体とはならなかったのです。ただ、そのような工夫がごく一部の医学生には動機づけとなり、その後の医療活動の支援となったと自負しています。

その後女子大学での短い指導の期間では、かなり自由度が高かったので、「学びの主役は生徒一人ひとりにある」ということを柱として展開しました。ポイントは、私から授業の目的を明確に示すことはなく、活動だけ提案し、その題材を提供し、あとは自分で考えて行動してください、というような授業です。英語と日本語を半々として、筆記テストなどはせず、プレゼンテーションやエッセイを書くなどで評価(しなければいけないので)しました。できる限り授業の目標設定を明確にすることで、そこに到達できているかという尺度で考え、「学びの主役は生徒一人ひとりにある」ということを考えたと思います。  

退職してもときどき生徒や学生と接する機会があるので、その際には、「自分を殺す」ようにしています。そして、支援だけを心がけます。気づいたことは、学ぼうとしない人にはどれほど工夫しても無理だということです。逆に言えば、多くの人は学びたいと思っているということに気づきました。教師が何かを提供すれば、どこかに関心を示すということです。こうして、私の現在の結論は、教師は学びを楽しんでいる姿勢を示せばそれでよいということです。生徒から質問が出たり、生徒が関心を示したら、それを刺激すればいいんだと思うようになりました。


桑の実が 多摩川沿いに そっとなる