2025年3月12日水曜日

Wittgenstein / ウイットゲンシュタイン 2025年3月12日(水)

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン( Ludwig Wittgenstein)は、気になる哲学者です。『論理哲学論考(Logisch-Philosophische Abhandlung, Tractatus Logico-philosophicus)』は読んでもよくわかりません。この書の中で有名な一節は次の言葉です。

7「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」

7 Whereof one cannot speak, thereof one must be silent.

これは、比較的わかりやすいと思いますが、そのほかの言質も命題を述べ、断片的で背景がわからないので、深く考えないといけないような構成になっている。言語をあいまいにしないで端的に述べているために、逆に、だからどうなんだ、というような印象があります。

ウィトゲンシュタインは、哲学的思想というよりは、彼の生き方がとても魅力的なので、多くの人が惹かれるのだと思います。調べてみると、まさに哲人(philosopher, thinker)という生き方で、おそらく直接会っても好きにはならない人でしょう。小学校の教師をしたり、いろいろな仕事をしたというのも「変わり者」ということでしょう。ふつうの人とは違う生き方が、人を惹きつけます。

『哲学探求(Philosophical Investigations)』は、彼の主張をよく表すもので有名です。これも難解でよくわかりませんた、世界とは「言語ゲーム(language games)」によって成り立っているという考え方はおもしろいです。あらゆる語は、言語ゲームという世界で使用されることで「家族的類似性(family resemblance)」を持ち、意味ができると言います。「家族的類似性」は、結局あいまいななkで言語は使われているということかと思いますが、そのような言語ゲームの中で、人は感覚、感情、理解、信念などを抱くわけです。言語の働きにおいては、「文法は言語の使用を決定できない」という命題を議論し、言語の使用は文法という規則に従わないと結論づけています。

言語学を探求している私は、言語というのはそんなものかなと漠然と納得しました。命題(proposition)は、論理学で使われ、判断を言語で表わすことで、真または偽という性質を持っているものです。数学に堪能であるウィトゲンシュタインは、この点を誤魔化すことなく語っているのでしょうが、私にはやはり理解できません。

彼は、『論考』や『哲学探求』の中で命題について次のようなことを言っています。

  • 4 The thought is the significant proposition.
  • 4.001 The totality of propositions is the language.
  • These projective properties correspond to that which in his theory the proposition and the fact must have in common, if the proposition is to assert the fact.
  • Every philosophical proposition is bad grammar
  • every function of a proposition is really a truth-function.
  • Accordingly, the proposition as a whole does not really enter into what has to be explained in explaining the meaning of a proposition.

この他にも、命題について言及している部分はたくさんあります。数学のように、明確に哲学を論じたいのかと思いますが、どうも深く理解できません。

深く理解はできませんが、言語学習や言語教育にかかわり、CLIL (Content and Language Integrated Learning)に携わる私としては、この言語ゲームという考え方は好きです。言語習得や言語学習に科学的な研究が盛んになってさまざまな仮説が出されてきましたが、いずれも仮説に過ぎません。複雑です。AIが発達し、AIによる方法で言語を生成することがある程度可能になってきて、相当に発展していますが、人間が行う処理とAIが行う処理は違います。見かけは似ていますが、人の脳のメカニズムは解明されていません。ウィトゲンシュタインが、哲学において言語ゲームに言及している点は、哲学が言語を弄んでいるのではないかという批判でもあるのかと思います。

やはり事実を見ること、明確な思考をすること、それを言葉で表すこと、言葉で表すことがむずかしければ、別の手段を使うこと、手段がなければ、無理をしないこと、というような受け取りを方を現時点ではしています。たぶん、もっと複雑だと思いますが、とりあえず。


春雨に 黙して語らず 言語ゲーム