【不登校】学びの多様化学校ってなに?
現在、2030年度の学習指導要領改訂に向けて「柔軟なカリキュラム」「学びの多様化」という方針が出されています。年間の授業時数を弾力的に考えて、効率よくカリキュラムを編成する実践例が報告されています。基本的にはとてもよいことだと思います。よい方向で議論されてよい提言が出されていくことをただただ期待します。学習指導要領は10年ごとに改訂されていますが、いままで方針はよくても現実は変われない文化が根強く残っていて、徐々には変わっていますが、別のところで問題が起きて、現状では、教育は決しよい状態ではないようです。教育の二極化が広がっているのではないでしょうか?
それはさておき、「柔軟なカリキュラム」「学びの多様化」について、私見を述べます。この方針は多くの国でほぼ同じです。社会が多様化し、さまざまな面で複雑になり、一国だけで考える時代は終わっていると考えます。ロシアやイスラエルのようにこれまででは考えにくいことを平気でやっていて、それを誰も止められません。アメリカ合衆国も現在何をしでかすかわからない状況です。教育だけがそれに巻き込まれないということは不可能です。学習指導要領を遵守して、方針を決めているという世間離れしたカリキュラムは少し考えたほうがよいでしょう。
しかし、実際には、特例として多様な学校やカリキュラムが運営されています。その多様な運営は自由にはできません。文部科学省の認可などが必要です。そのために多くの書類を揃え申請し、認可を受けた学校は、学習指導要領にもとづくある決まったルールによって運営がされているような気がします。その実践は報告する義務があり、しがらみを受けます。つまり、「柔軟なカリキュラム」「学びの多様化」と言っても、なんでも柔軟ではなく多様でもありません。文部科学省は、「教育課程の編成は、学校教育法施行規則に示す総授業時数及び各教科等の時数、学習指導要領に示す各教科等の目標・内容に基づく必要がある」としています。これを大前提として、個々の児童生徒に着目した教育課程の特例を打ち出し、不登校、特異な才能、日本語指導について検討しています。この判断を各校長に任せると言っています。これは無責任なやり方と言ってもいいでしょう。校長はその責任は取りたくありません。
また、これに関する議論を「柔軟な教育課程編成の促進について~各学校が編成する一つの教育課程では対応が難しい子供の包摂~」の中で公開しています。網羅的で、私たちはやっていますというアピールのようで、なんとなく「絵に描いた餅」という印象を持ちました。
柔軟なカリキュラムのもとで、日本語指導が必要な児童生徒、校内外の教育支援センター等に通う不登校児童生徒、特定分野に特異な才能を有する児童生徒を支援する
ということです。当たり前です。どうやってそれをするのかということが課題です。つまり、不登校、特異な才能、日本語指導については、特別と考えているわけです。これではインクルーシブとは言えません。「柔軟なカリキュラム」「学びの多様化」を目指すならば、ふつうのカリキュラムの中に学びの多様化を図る必要があるでしょう。
How B.C.'s Flexible Curriculum Empowers Teachers
そのためには、学習指導要領にはない思考を入れなくてはいけません。学習指導要領にある目標、教科科目、単位、授業時数などなど、不登校、特異な才能、日本語指導の必要な児童生徒それぞれのニーズに合うようにして、その学びを支援しなくてはいけません。それは学校教育に最前線で関わる教師の仕事にもかかわっています。長期的な視点に立って考える必要があります。その意味で、学習指導要領はあくまでガイドラインであるということを徹底すべきで、現場の先生方の創意工夫を優先していただきたいと思います。学校の先生が自由に改革をできるような環境作りが文部科学省の仕事ではないでしょうか?いい考えが出てくると思います。学習指導要領でしばり、管理するのはそろそろ思い切ってやめましょう。それができなければ、いくら学習指導要領を改訂しても、また新たな問題が出てくるでしょう。
春の雨 長崎は雨 それもよし