2024年8月31日土曜日

8月も終わり エッセイ  2024年8月31日(土)

 この日誌を始めてようやく8月さいごの日が来ました。誰も読んでくれなくても特に気にせず、気楽に深く考えることもなく、つらつらと記しています。細かい誤りはご容赦ください。

今日もテーマは、「エッセイ」とか「随想」についてです。日本語の意味は、「自由な形式で気軽に書く散文、随筆、随想など」ということだそうです。英語でのessayは、Oxford Referenceによると、「A short written composition in prose that discusses a subject or proposes an argument without claiming to be a complete or thorough exposition. A minor literary form, the essay is more relaxed than the formal academic dissertation. 」と説明されています。多くの場合、学生が書くちょっとしたレポート(academic essay)として使われていると思います。

日本の場合は、吉田兼好の「徒然草」のような内容をエッセイと言っているようです。この日誌もそのようなジャンルに入ると考えてください。

しかし、書くということは、私の頭の整理に最も役立っています。歳をとり、時間ができると、あれこれと考え、本も読めます。考えてみれば、ありがたいことです。平和の時代に生まれ育ち、大きな危機もなく、70年近くも生きてこうしていられることは、たぶん幸せだと思います。

大きな台風が来て、熱帯低気圧に変わるそうですが、雨がよく降り、多摩川の水量も増えています。日常と違った風景になると、不謹慎なのかもしれませんが、ワクワクする気持ちになります。多摩川に棲む動物たちもたいへんでしょう。先日は多摩川いかだ下りのイベントが中止になりました。水量が増えて危険だということでしょう。

バングラディシュは現在たいへんな状況です。世界中あちらこちらで危険な状況がふつうにあります。気候変動が原因のようです。それでも戦争や紛争は絶えません。自然と戦うだけでもたいへんなのに。。。と思います。

このような状況からすれば、日本はまだまだ安心です。気象庁も報道もたいへんな時代になりました。責任を追及されやすくなり、何事も慎重になる傾向があります。私が住んでいるところも避難指示が出ています。「気をつけなさい」でいいような気もしますが、それでは何かあったときに責任を問う人がいるのでしょう。嫌な時代だと考えてしまうのは平和ボケでしょうか?

結論もなくダラダラと書いてます。しかし、私の中では、ここに書く以上に考えています。


秋出水 集めて早し 多摩川も



2024年8月30日金曜日

不登校は問題ではない  2024年8月30日(金)

           Understanding school refusal

日本には「教育基本法」があります。小中高については、これが前提となりますが、解釈によっては様々に意味が取れます。世の中はそういうものだと言えばそういうものです。ちょっと確認しておきましょう。

(教育の目的)

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)

第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと

二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと

三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(学校教育)

第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

主語は「我々日本国民」で、対象も「日本国民」でしょう。しかし、日本国民ではない人も、日本の公立の学校で学ぶことを特に制限していません。しかし、文面から受ける印象は、目標においては、「態度を養う」という表現が特徴的です。また、それを受けて、学校は「〜行わなければならない」という場になっています。

時代が変わったということで終わらせてはいけないと思いますが、この法律にある文言が、「学校は行かなければいけない」というステレオタイプを作り、学校に行かないことは、日本国民からは「落ちこぼれ」として、ネガティブに位置づけされるのかもしれません。

私自身も、高校教師の頃は、高校は義務教育でないにもかかわらず、学校に来ない生徒には学校に来ることが大事だと言っていました。知らず知らずのうちに組織の中の教師となっていたと思います。

大学で教職課程に携わるようになり、いろいろな国の教育事情を見ることができるようになり、少しずつ問題の根が深いことが分かってきました。世間、閉鎖的な社会、差別、学歴、組織、貧困など、背景は複雑です。

世界的に見ると、「不登校」の背景は多様です。日本だけではなく、多くの国で同様の問題が顕在化しています。

250 million children out-of-school: What you need to know about UNESCO’s latest education data

この記事は、学校に行けない子どものデータです。この状況と日本で「不登校」とされる状況はいっしょにはできませんが、学習が保障されない点では同じかもしれません。

私は、「不登校」を問題とは考えないことが大切だと思います。学びを保障することが重要で、「学校に来る来ない」に関して決まりや思い込みを持たないようにすることが求められると思います。教師にも学校や授業の規則を押し付けることなく、ある程度裁量を柔軟にすることが、そのような学習の自由を補償することにつながります。

学校の役割の基本は、社会生活を営む上で必要な知識や技能を培う場です。また、それぞれの人の未来を支援する場で、それぞれの人を規制する場ではありません。来ることも来ないことも自由です。学校に来ないことがネガティブということではないので、問題とはしないことが大切だと思います。


不登校 学びは自由 韮の花



2024年8月29日木曜日

研究3(スコットランド)  2024年8月29日(木)

 Scotlandには長く縁がある国の一つです。博士課程の学習がそのほぼすべてですが、それだけではではありません。あちらこちらに行きました。初めて訪れたのは1991年だったと思います。高校の同僚とレンタカーを借りて冬のスコットランドに1週間ほど滞在しました。そのときの記憶はすでにはっきりしませんが、その後  2004年以降毎年何度も訪れる国となるとは思っていませんでした。

さて、研究としてのScotlandは、Modern languages(外国語教育:フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語など)です。特にSCILT(Scotland's National Centre for Languages)の活動に注目して研究しました。現在のSCILTの活動は当時とかなり違いますが、総じて言えることは、英語以外の言語学習を仕事と関連させて推進することにあるようです。
私の研究対象は、2005年〜2010年ごろのModern languagesとHeritage languagesです。小学校や中学校のフランス語、ドイツ語、スコッティシュ・ガーリック(Scottish Gaelic)などの授業を見て、教師にインタビューし、教員研修などに参加しました。研究は、発表したり論文を書いたりすることに結びつけますが、この研究は直接の成果はほとんどありません。綿密な調査をするには時間も費用も限られていたからです。ただし、私の探求の中では一番おもしろく、今でもそれは続いています。
        Scottish Gaelic: Explained

何がおもしろいかというと、言語学習の展開とそれぞれの活動です。それと、それにかかわる教師のこころです。多くの人が、英国や英語を話す環境の人たちは外国語を学ぶ必要がなく、外国語学習環境も盛んではないという印象を持っています。私のリサーチクエスチョンは、日本の中高の英語授業と似ているのではないかということです。結論から言うと、ある面で似ていますが、やはり異なります。
似ているところは、「外国語を使って授業を展開する」、日本で言えば「英語の授業は英語でするものとする」という言語授業の神話(根拠のない話) (myth)です。英語を母語とする学者から推薦されるDirect Methodは、やはり特殊だということです。多くの場合、英語でやりとりをしながら外国語を学びます。文法や語彙や発音の指導は主流で、「訳す」という活動もどの授業でもふつうにあります。Modern languagesは基本人気がありません。
しかし、スコッティシュ・ガーリック(Scottish Gaelic)を維持しようとする活動は違います。Immersionなども細々と行われています。これは一つの運動と考えてもいいでしょう。Heritage languagesの維持は、多言語多文化とも併せて、英国全体として一つの言語政策として見習うべきものがあります。
このように、多様な言語を提供しようし、多様な支援をしている点は、EnglandよりもScotlandの方が熱心です。WalesがWelshを普及している言語政策が基盤にあると考えていますが、この姿勢は重要だという印象を持っています。
現状で一番重要だと思う点は、言語学習がビジネスや実用に特化している点にあります。教養としての言語学習という考え方はほぼ皆無です。フランス語をなぜ学ぶか、中国語をなぜ学ぶかは、学習者の動機を重視しています。Englandと較べると言語に関しては丁寧な指導をしていると感じました。日本のように入試を餌にして知識を詰め込むのではなく、これからの仕事や社会で役に立つという面を重視し、ヨーロッパ言語だけではなく、他の言語に関心を持つように促している。それは、身近にいろいろな背景の人がいる状況が進んでいるからでしょう。この背景には、CEFRが着実に浸透していることがよくわかりました。
現在でもその傾向は変わらずコロナ前には、日本語学習の機会も提供する動きもありました。しかし、ひるがえって日本を見ると、依然として英語一辺倒で多様性には欠けます。Scotlandは私にとって大切な国の一つです。

八月は スコットランドで ウヰスキー




2024年8月28日水曜日

身体を動かす、考える、ふりかえる  2024年8月28日(水)

 多摩川を歩くことは、2020年に始めました。コロナになり、授業はオンラインが主流となり、人との接触ができなくなりました。便利と言えば便利です。家でパソコンに向かい、座ることが以前よりも多くなり、これはいけないと思い、歩くことを始めました。街中だとマスクをしなければいけないので、人と接触しない多摩川べりはとてもありがたいところです。


2024年8月27日火曜日

退職後  2024年8月27日(火)

 私の「退職(retirement)」というオリジナルのイメージは、60歳になり、年金をもらって、年に何回か海外に行き、好きなことを好きなようにしている暮らしだったと思います。しかし、これはとんでもない絵空事でした。しかし、1980年代ごろはそうだったが、1990年代ごろから急速に変化して、暗い人生が待っていることがわかってきました。

Japanese retailer moves retirement age from 65 to 80

朝4、5時に目が覚め、読書する。
7時ごろコーヒーを飲んでテレビを見ながら朝食(パンと目玉焼きなど)を自分で作って食べます。
午前中は、NPO関係の作業をします。昼食後も同様にパソコンに向かって作業をします。特にノルマはなく適当に楽しくする。
現在は暑いので、夕方に散歩をする。散歩の間Podcastを聞き、ブラブラとします。現在は「聖書」を聞いています。
その後夕食を食べて、ビールを飲み、9時ごろ床に入ります。

何かあるときは外に出ることがありますが、のんびりとした時間を過ごすことにしています。時間に縛られることなく、嫌な人に会わず、嫌なことはしない。こんな退職生活は楽しいです。考えてみれば、人生の中で一番いい時を最近は過ごしているかもしれません。

しかし、The Old TestamentのEcclesiastesに次の有名なことばがあります。vanityは「虚栄心」などの意味がありますが、日本語では「空」と訳すことがあります。vanityは「the fact of being unimportant, especially compared with other things that are important」(oxford dictionary)となっています。

Vanity of vanities, saith the Preacher, vanity of vanities; all is vanity.(伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。)

何事も大したことはないのですが、大したことはあり、しがらみがなくなると、このことばは意味があるような気がします。

極暑に 多摩川歩き 蝉の声

2024年8月26日月曜日

研究2( Lived Experienceについて)  2024年8月26日(月)

 『英語授業をよくする質的研究のすすめ』(笹島茂・宮原万寿子・末森咲・守屋亮編、ひつじ書房)という本を2023年に出しました。10年程度続けた「英語教育における質的研究コンソーシアム Qualitative Research Consortium in English Education (QRCEE)」の活動をベースに、宮原先生他質的研究に関心を示す人たちと編纂しました。専門家の人たちからすると物足りない、ツッコミどころ満載の内容と思います。しかし、あまりにも意味のない形式的な研究が多いので、もっと自由に柔軟に英語教育を考えましょうという趣旨で出版しました。

ありがたいことに感想をYouTubeで述べている方もいます。研究は、仮説検証、統計処理、先行研究、文献などと、形式的な作法ばかりが優先され、ハードルを高くするばかりで、本質を見失ってしまう危険性があります。個人的には、小学校の頃の「自由研究」「調べ物学習」などの発想が大事だと思っています。

このようなことは今後も話題としますが、ここでは、このブログのタイトルとしている。「生きた Lived Experience」について、その背景を書いておきます。Lived Experienceはもともとドイツ語のErlebnisが英語でそう訳され使われたそうです。訳語は「生きられた経験」として使われています。上記の本でもそのような訳語で書いています。しかし、個人的にはしっくりとしない日本語です。変です。おそらくその方がインパクトがあるということで使われ出したと思います。あるいは、直訳です。このような訳語はたくさんあり、かえってふつうの人たちにわかりづらくしています。なぜかはわかりません。

さて、ではどういう日本語がピッタリするのかというと、「体験」というのが適当だと思いますが、「経験」と「体験」の区別もあいまいです。英語でlivedとしてあるのは、おそらく「生き抜いた、自分自身が生きた」という意味で使われていると思います。たとえば、said(前に述べた)という形容詞があります。動詞のsayの過去分詞形saidが形容詞として使われている例です。これと同じと考えてよいです。

         Lived Experience: What It Is and How to Include It

Lived Experienceが、自殺に関するケアで使われている例です。

Lived Experienceは、現象学(phenomenology)で使われている用語です。現象学と言えばHusserlですが、詳しくは知らないので、現時点での理解からすると、「経験したことをありのままにふりかえって解釈することで、人が経験したことを適切に把握すること」と考えている。次の表現が私にはすっきりする。

People with lived experience are those directly affected by social, health, public health, or other issues and by the strategies that aim to address those issues. This gives them insights that can inform and improve systems, research, policies, practices, and programs. When we say lived experience, we mean knowledge based on someone’s perspective, personal identities, and history, beyond their professional or educational experience.

ASPE: https://aspe.hhs.gov/sites/default/files/documents/5840f2f3645ae485c268a2784e1132c5/What-Is-Lived-Experience.pdf

長くなるので、ひとまずこのあたりで蘊蓄はやめます。が、ということで、Lived Experienceを、「当事者が実際に経験して保持しているありのままの動体としての体験的知識」と、ここでは仮に定義しておきます。


69歳 生きとし生きた 極暑かな


2024年8月25日日曜日

研究1(Teacher Cognition)  2024年8月25日(日)

2005年からTeacher Cognitionというテーマで、スコットランドのスターリングにあるThe University of Strilingで博士課程の研究を始めた。Richard Johnstone先生のもとで研究したかったからです。Richard Johnstone先生は日本ではあまり知られていないが、ヨーロッパでは外国語教育では著名な人だからです。大きな理由は、Scottish CILT (The Scotland's National Centre for Languages)の活動に興味があり、そこで研究したいと思ったからです。

この経験は貴重でした。当時、Teacher Cognitionの日本語訳はすでに「教師認知」として心理学などで使われていました。どうもしっくりしなかったけれども、教師認知として使っています。現在でも教師の研究は続いていて、基本的には、Teacher Belief研究の流れと位置付けられるでしょうが、用語の使用は複雑です。つまり、教師については多くの人が興味を持ち、観点は様々だからでしょう。
その点から、Richard Johnstone先生の幅広い考え方に多くを学びました。CLIL (Content and Language Integrated Learning)を知ったのも先生のお陰です。先生の紹介で多くの人に出会い、ヨーロッパの言語教育のこと、教師のこと、生徒のことなどを詳しく知ることができました。もともと、文献だけでは理解できないと考えていたので、このようなリサーチは、「私」という教師のTeacher Cognitionの理解に深く関係しています。単にPhDの学位を取得するだけではない大切なものを学んだと経験でした。
さて、Teacher Cognitionですが、私はTeacher Kokoroとして説明することがあります。日本語では「教師のこころ」ということです。日本の英語教師のこころをTeacher Cognitionとして次の図のように表しました。63人の英語教師に話を聞き、その中で10人の人にインタビューと授業観察をさせてもらい、分析して得た結論です。



簡単に言うと複雑だと言うことです。そう簡単に、英語教師は、このように信念を持っていて、知識を得て、考えて、行動している、とは言えない。いろいろな影響を受けて、ドロドロとして活動しているということです。大切なことは、それを教師は意識しているということだと考えたのです。
詳細は、次の本にまとめました。あまりうまくまとまっていないので、時間があれば、もう少しきちんとまとめてみたいと思いつつ10年以上が過ぎてしまいました。いまでも教育に興味を持つのはその延長です。終わらない探究です。

探求は 終わることなし 夏の果て





An Exploratory Study of Japanese EFL Teachers’ Kokoro Language Teacher Cognition at Secondary School in Japan LAP Lambert Academic Publishing ( 2014-03-11 )




2024年8月24日土曜日

学ぶことと教えること  2024年8月24日(土)

学びの場所は学校です。ということは、教える人が必要です。教える人の中心は教師です。現在、教師の仕事は日本では揺らいでいます。残念なことです。私の研究の主体は教師です。どうしてかと言えば、教師という職に就いたからです。「阿留辺畿夜宇和」です。私は教えることとともに学ぶことを考えたいと思っています。

Teacherは世界中どこでも有用な人材として機能しています。日本でもそうです。その分、問題も生じます。日本の問題は、教師よりも学校という社会システムの問題です。そのような基盤的な問題が教師の問題にすり替えられるという例が多いと感じています。次のビデオを見てください。

   How Do Teachers Change Lives?

2024年8月23日金曜日

学びについて  2024年8月23日(金)

さて、

学びについて考えましょう。このビデオは植物がどう育つかを考える内容です。いわゆる今流行りのSTEMあるいはSTEAM教育と関連します。このビデオのさいごに質問があります。

1. What happens if a plant does not get enough light?
2. What other things do plants need to grow well?
3. Why do plants need light?

ビデオを見ても答えがあるわけではありません。また、英語でやりとりしてますから、むずかしいと考える人が多いでしょう。それはふつうです。しかし、このような経験は日常のどこにでもあります。

言語の役割は学びと密接に関連します。このビデオは英語ですが、日本語でも内容はほぼ変わりません。日本語でも英語でも、言語は考えることにおいてなくてはならないものです。また、環境も大きく変わり、情報量も多く、英語はコミュニケーションの道具だけではなく、学びと大きく関連しています。今後もその傾向は変わらないでしょう。英語を中心としたバイリンガル教育やCLILが注目されるのはその点からです。

Gen AIの発達により、言語学習は必要なくなる場面も多くなりますが、それでも、多言語多文化の流れはとどまることはないと思います。考えること、学ぶこと、発見すること、創造することなど、人間の営みはそれほど変わることはないでしょう。言語を日本語や英語と区別する学習は、大きく転換する必要が差し迫っています。

反論があることはもちろん承知です。いまの英語教育の動向は批判されるべきですが、こどもの気持ちになって考えるとどうでしょうか?小学校から多様な選択ができる機会を提供するのが教育です。学びはもともと多様です。大人の考えだけで議論するのは危険です。

教育機関から退職してゆっくり考えることができるようになり、ますますそう思います。ただ私は議論ばかりしていることは好きではありません。また、一つの考え方に固執することもしません。失敗したらやり直し、発展させることが大切だと思っています。学びは失敗の連続の中にあると信じています。

現在の「阿留辺畿夜宇和」は世捨て人として、しがらみなく自由に記録します。これも私にとっては、いまの学びと考えています。

失敗は 秋の雷 ありがたし

2024年8月22日木曜日

英語教師のこころ  2024年8月22日(木)

東洋英和女学院大学で教員としてのさいごの職を勤めました。年寄りを雇ってくれた大学には感謝です。短い間に英語教員を横浜、神奈川、東京、埼玉の公立・私立の学校に送り出すことができて満足です。7年ほど勤めて退職しましたが、楽しく充実した時間を過ごすことができました。が、どうも人とは上手く付き合えない性が出てしまいました。これも「阿留辺畿夜宇和」です。仕方がない。

こうして、私の英語教師としての人生は45年で終わりました。その間に、長崎に行くことがあり、地元のFM局で語ったのが次のYouTubeです。ここで書いたことを話して、現在のCLILの推進のことを話しています。タイトルは私がつけたものではありません。



「新・英語勉強法」などとタイトルが付けられていますが、雑談と聞き流してください。それでも、そのときの気分としてはそうだったようです。聞いてくれる人が盛り上げてくれて調子に乗りました。「自然に学ぶ」ということを考えていたようで、それがCLIL(内容と言語を統合した学習)だと話したように記憶しています。間違いではありませんが、誤解を生むかもしれません。

私は、終わったことは忘れることにしています。ふりかえりはしますが、間違ってもくよくよしないようにしています。深く考えないという意味ではないです。英語の教員をしてきた自分をふりかえると、後悔ばかりの人生だったように思います。授業などがうまくいったという記憶はほとんどありません。「英語授業の達人」という言葉が大嫌いです。達人などは見たことがありませんし、なりたいとも思わないです。批判を承知ではっきり言っておきます。

言語の知識はある面では極めることができるでしょう。しかし、どうやってもnative speakerには引け目を感じます。日本語を考えてみればわかりますが、生まれてからずっと使っている言語の総体は、学習だけでは無理です。これはどうしようもないコンプレックスです。それを教える仕事が嫌でたまりませんでした。英語教師としての私は、いつも反省しています。

私の専門の研究はTeacher Cognitionです。しかし、それに関してすべてを知っているかというととんでもない。教師の思考のプロセスは複雑です。私がこの研究に興味を持ったのは、自分が自分をわからないから探求したということだけです。明恵上人もそうだったのではないかと勝手に思います。違いは、「阿留辺畿夜宇和」という哲学でしょう。私は上人には遠く及びません。
このことは、後で詳しく書くと思います。

おはようと 生徒と話す 今朝の秋




2024年8月21日水曜日

埼玉医科大学で研究へ  2024年8月21日(水)

 いろいろあって1997年に高校から大学教育へと転職しました。失ったことも多かったのですが、得るものも多く、嫌なこともさっさと忘れ研究に没頭できる環境ができ、とても気持ちがよかったです。


そこで出会ったのが、English for Specific Purposes (ESP)です。寺内一先生に偶然出会ったのが縁ですが、埼玉医科大学で英語を教えることが幸いしました。人生とはわからないものです。大学英語教育学会(JACET)のESP研究会に誘ってもらい、いろいろと学びました。高校での英語教育では意識したことがなかったので新鮮でした。

しかし、私が考えていた英語授業の実践とESPが重なりました。目の前の学習者にとって大切な学びを提供するという考えに、まさにESPは最適の考えでした。理論が欠けていた私にとっては、当時興味を持っていたコミュニケーション・ストラテジー(communication strategies)の実践とも適合しました。医学や看護の学生にとって何が大切なのかを分析(needs analysis)し、理論と実践を積み重ねました。

埼玉医科大学での理論と研究は今日の礎になっています。その間に、英語教員研修の調査研究も大学英語教育学会(JACET)を中心に深めることができました。おかげさまで Master もPhDも取得し、海外での研究も人一倍できました。訪ねた国と地域は、英国、米国、ヨーロッパ大陸各地、アジア、オーストラリアなどです。内容は様々ですが、高校の教員までの人生では不可能なことはすべてできました。

私の中には業績とか地位とかの意識はなく、無理をしたことはありません。自然とそうなりました。すべて巡り合わせです。「阿留辺畿夜宇和」です。しかし、私の反省すべき欠点は「調子に乗る」ということです。高校教員のときと同様の過ちをくり返しました。しかし、これもあるべきようだったのです。ある人たちには迷惑をかけたようです。18年も好きにやっていた罰でしょう。長居をしすぎたようですが、十分な研究ができました。埼玉医科大学には感謝です。


研究は 考える間に 残暑かな


2024年8月20日火曜日

高校の教員として  2024年8月20日(火)

 高校の教員としての1年目はいい加減だったと反省してます。ただ一つだけ努力したことは授業です。とにかくうまく行かなかったので四苦八苦でした。しかし、教員としての仕事は面倒なこともたくさんありましたが、総じて授業を通して学ぶ楽しい日々でした。自律的に行動できたので、高校の教員として、家族と共に、ずっと退職までと考えていました。

大学の卒論は、アメリカ演劇でArthur Millerを研究しました。研究といっても稚拙な内容ですが、末永國明先生に指導してもらい、けっこう熱心に取り組みました。その後もこの劇作家からは多くの影響を受けました。末永先生と出会えたことも、私の人生では大きかったです。


仕事、英語の勉強、部活動指導など、家族を顧みずに、高校は3校を経験しましたが、後悔はありません。話せば長くなる紆余曲折ありの18年間ですが、結局、志半ばで辞めました。自分の思いや意図だけではうまくいかないし、それが分かっていても、自分自身の気持ちが維持できないと感じました。人生ではじめて味わった危機だったと思いますが、Arthur Millerの戯曲はShakespeareの戯曲を読んでいたことが救いです。落ち込みませんでした。

逆に、「英語教育」はもう少し極めたいと考えていたことが、私を救ってくれたと思います。高校の仕事で忙殺されることがあっても、末永先生の紹介で大塚英語教育研究会に参加していたことが、「阿留辺畿夜宇和」だったのでしょう。大塚英語教育研究会ではたくさんのことを学びました。また、それが多くの縁をつくってくれました。

たいしたこともない人生ですが、高校の教員時代が良くも悪くも、体力もあったし、よく学んだ日々でした。同僚や生徒とぶつかることも多々ありましたが、誠意をもってやってきたつもりです。しかし、それでも嫌なことはやりたくないというのが、自分の性分なのでしょう。明恵上人のような人にはなれませんが、自分自身で納得のいくことをしたいと思うのです。それが、私の「阿留辺畿夜宇和」です。

天の川 阿留辺畿夜宇和 夜空見る







2024年8月19日月曜日

埼玉大学教育学部英語英文学科  2024年8月19日(月)

 明恵上人の「阿留辺畿夜宇和」で始めたこの日誌では、まず「私」という人の成り立ちを簡単に紹介しました。自分でもまず自分というものの「あるべきよう」をふりかえってみようと思ったからです。考えてみると、18歳まで群馬県の草津温泉というところで、家族や友だちと過ごした日々は、「私」という人の基礎を形成し、今日まで続き、そこそこで自分を導いてきたようです。どうあがいても、こうなるようになっていたのかなと考える次第です。

さて、私は高校卒業後埼玉大学教育学部英語英文学科で学ぶことになりました。自分で望んだことではありませんが、なぜかそうなりました。でも、結局良かったです。いい先生に出会い、いい友人にも出会い、何をしたらよいのかも漠然とわかりました。そして、埼玉県の高校の英語の教師になりました。

英語の教師という仕事も、「私」という人が暮らしていくには相応しいようだと感じました。消極的な選択です。一つには、「英語の勉強をしたかった」ということです。英語力や知識が圧倒的に足りないと感じたので、教師であれば「learning by doing」でなんとかなるだろうと思いました。二つには、会社という組織は自分に向かないとわかっていたからです。親はこのことをわかっていたので、大学にも行かせてくれたのでしょう。

最終的には、教育実習でお世話になった真尾正博先生に出会ったことが後押ししました。ここでも「あるべきよう」にというしかありません。英語力がない「私」でも教師としてやっていけるという自信ができました。英語もできないし、人間も中途半端だし、「先生」と呼ばれるに値しない人間でしたが、やっていいんだと思いました。

その後、埼玉県の高校英語教師として18年間を過ごすことになりました。特に優秀な教師ではなく、ごくふつうの教師でしたが、その場その場で「learning by doing」の実践は続けていたと思います。


我が道は どうにかなるさ 蛍草





2024年8月18日日曜日

中之条高校閉校  2024年8月18日(日)

 私が通った高校は、草津町からバスと電車で通える中之条高校という高校です。農業科が有名ですが進学校ではありません。残念ながら、2018年に閉校となりました。校内に牛や豚がいて、近くの牧場まで遠足に行ったような記憶があります。

   群馬県立中之条高等学校校歌

これが校歌だそうですが、申し訳ないほどまったく記憶がありません。YouTubeにありました。真意はわかりません。時代が時代だったと思います。体制に反発することが格好いいと思っていたのでしょう。若気の至りです。残念ながら愛校心はあまりないです。図書室だけはよく記憶しています。山田くんと争って本を借りていました。

けっこう好きなことをしていました。とても楽しい高校生活だと記憶しています。特に英語の堀泰雄先生に出会ったことが、今から考えると大きかったようです。飾らない人柄で、尺八吹いたり、エスペラント語を推進したり、とにかく生き方が素敵な人でした。いまでも元気なようです。卒業してから一度も会っていませんが、忘れたことはありません。教育ってそんなものかと思います。

おそらく堀先生のおかげで世界に興味を持ちました。英語は苦手でしたが、英語の内容に興味を持つようになったようです。しかし、私が目指したのは「建築」でした。諸事情があり受験はうまくいかず、親にお願いして1年浪人として東京に出させてもらいましたが、進路変更しました。家にそんな金もないのに無理してくれたと感謝しています。

すべてにおいて、これが転機だったと思います。

母校が閉校(正確には統合?)になったこと自体はたぶんそれほど珍しいことでもないでしょう。大切なことは「モノ」ではなくて、「人」や「出会い」だと考えます。草津温泉から「世界」へと広げてくれた中之条高校は実体はないけれど、私の「こころ」の中のどこかにいまでもあります。それがなければ、いまもない。


夏草や 学舎失くても 人は消えず







2024年8月17日土曜日

ふるさとは・・・  2024年8月17日(土)

 というわけで、ふるさとは群馬県の草津温泉です。いいところで生まれて育ったと思っています。が、高校まで住んでから大学に行くということで、ふるさとは出ました。以後戻ろうと考えたことは一度もありません。もちろん家族も住んでいるので、ときどきは行きます。

しかし、住む気はありません。何が嫌かというと「酸(acid)、硫黄(sulfur)」です。温泉の効能としてはとてもよく、それを求めて多くの人が湯治に来ます。ただ、そこに長く住むということはどういうことかという疑問がありました。あくまで個人的なことで、科学的には何の問題もないでしょう。みなさんはぜひ楽しんでください。


  草津温泉の「歴史と進化」 今までとこれから~進化を続ける温泉街~

私が住んでいた頃とはかなり変わっています。いずれにしろ早く実家を出たいと思っていたので、三男ということもあり、高校を卒業後ふるさとを後にしました。

考えてみれば、この頃の自分が、良くも悪くもそのまま歳をとったと思います。いい人やいい環境があり、ちょっとしたチャレンジができて、挫折も成功も適当に経験し、恵まれない状況があっても、自分でなんとかしようとする強さも身につけた気がします。

室生犀星は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と書いています。何となく同感します。複雑な思いはあっても、今となっては、なくてはならない「私」の一部となっています。

このような幼少期からの体験は、老いてくるとますます形を変えて想起します。記憶は歪んで夢の中にときどき現れます。明恵上人の夢記はよく知られていますが、フロイトやユングのように分析をする気はありません。なぜか最近はよく夢をおぼえていることが多いです。


ふるさとが 夢に出てくる お盆過ぎ 




2024年8月16日金曜日

誕生 ごまかさない 2024年8月16日(金) 

 私の生まれた日は1954年 11月12日(金)と記録されています。生まれた場所は群馬県草津温泉です。18歳までそこで暮らしていました。10歳の頃の草津温泉のYouTubeビデオです。私の記憶とはもちろん違いますが、参考まで。



東京オリンピックがあった年が昭和39年でした。東京に憧れたのはたぶんその時の記録映画だったと思います。学校は嫌いでした。教育の世界で生きるとはまったく考えていない少年でしたが、本を読むのが好きになったのはこの頃です。ちなみに最初に読んだ本は「ロビンフッドの物語」でした。


草津町には温泉があったせいでしょう。「粟生楽泉園(くりうらくせんえん)」(ハンセン病患者の療養施設)がありました。うっすらおぼえています。町から少し離れた場所にあり、「いっちゃダメ!」と言われていたところです。街の中にそこに住んでいた人だと思いますが、「触るうつるよ!」と言われた記憶があります。


「いっちゃダメ!」と言われると行きたいのが私にとってはふつうです。今から考えれば、そこにいる人が差別されていたんだと認識していますが、当時は自分の家庭も貧しかったので、差別やいじめは当たり前で気にしたことはありません。周りもそういう人が多かった時代です。ただ「私はそれは間違いだ」と思い、自分はそのような人間にはならないと決めていたと思います。というわけで、まず物事はすぐに信じません。疑うということ、自分で確かめること、が自然に身につきました。


昔は、「癩(らい)病」と言っていました。それが、「ハンセン氏病」になり、現在は「ハンセン病」です。英語では、leprosyで特に変わっていません。このような言葉の誤魔化しはいまでもあちらこちらでやっています。日本語は特によくごまかす傾向があります。例えば、痴呆→認知症(英語はdementia)、精神分裂病→統合失調症(英語はschizophrenia)など。

最近は、英語などを語源とする語句は、カタカナ語や頭字語などを使うことが多くなっているのは、その傾向の一環かもしれません。


癩病は ハンセンとなり 夏祭り




2024年8月15日木曜日

阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ) 2024年8月15日(木)

 2024年8月15日(木) 阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)

今日から始める「生きた Lived Experience」日記です。笹島茂です。Lived Experienceは「自分自身で体験したこと」と簡単に考えています。それを記述する予定です。

今日のタイトルは、明恵上人(華厳宗の僧侶)の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」です。私はこの人の生き方が好きです。といっても、それほど詳しくは知りません。自分に対して厳しい人だと思います。自分の「あるべきように」生きた人だと想像します。



もうすぐ古希を迎えるにあたり、いまさらですが、「あるべきよう」に生きたかどうか、残り少ない日々をふりかえることにしましょう。

映像は多摩川の夕日です。ほぼ毎日歩っていますが、飽きることはありません。歩くといろいろなことを考えます。夕方に歩くことが多いので、ふりかえりの散歩です。

毎日暑い日が続きますが、歩くとスッキリします。明恵上人のように「阿留辺畿夜宇和」と考えますが、毎日それができなくて「Tomorrow is another day 」と静かにビールを飲むのが毎日の日課です。


ビール飲み 夢は多摩川を 駆け巡る