Good Teachers Vs Bad Teachers
私は、意欲のある人に小中高の教員になって活躍してほしいと思っています。悪口ばかり言うのはどうかと思いますが、現実を変えてほしいと強く思います。今のままでは何も変わらない可能性があります。教育が元気がない国は衰退します。意欲のある人が教員となり、学校を楽しく活性化して、日本という国を今後もずっと平和で元気のある場所にしてほしいと思うのです。
この日記で何度も取り上げる学校教育は、自分の人生のほとんどを過ごしてきた主たる活動領域です。最近の動向は残念でなりません。いじめ、引きこもり、詰込み教育、学力低下、家庭の貧困、差別、LGBTQ、不登校、教員不足、変わらない学歴偏重、私学の名門校文化、塾や予備校のビジネス、公立学校軽視、進学実績、英語教育重視、教育DX・ICTやAI偏重、教育格差などなど、挙げたらキリがないくらい多くの問題が、学校教育は抱えています。
昔から較べれば、相当に進歩したことは間違いありませんが、何かが間違っています。私が高校教員を始めた1970年代後半は、校内暴力や暴走族などが大きな問題でした。私自身も毎日その対応に明け暮れていました。授業どころではない状況でしたが、それでも何か人間的な喜びはありました。社会の見方もある面でおおらかで、厳格な罰則主義ではなく、教員の裁量は尊重されていたと思います。今でもその頃教えた生徒とはやり取りもあります。と言っても事故などで亡くなった生徒もいました。
私が高校教員を辞める頃は落ち着きましたが、また、別の問題もありました。私自身は英語教育の研究などの時間が欲しくなり、いろいろな事情で辞めて大学に転じました。教科教育法などの授業も担当できるようになり、英語教育の改善に熱心に取り組みました。その際にいい先生も多いですが、相対的にそうではない先生がたくさんいたことに気づきました。現在もその傾向は変わりません。「英語の授業は英語ですること」などのスローガンがあり、英語の先生の指導のあり方が問題になりましたが、本質は違います。そんなことで改善しないと提言し、改善方法を提言した時期もありました。
しかし、これでは変わらないと思い、CLILという学習の推進に努めて現在に至っています。しかし、CLILは宗教のような受け取られ方や、ヨーロッパの教育で日本には適していないなど、あいかわらず瑣末な学習方法や指導方法の改善に執着した展開が進められています。CLILもその一つとして利用されています。本来はそうではないと私は思っています。
教師の役割は大きく変わっていますが、やはり適切な知識と教育に対する知見が必要です。それに加えて、自分自身を向上し学習を支援する意欲が必要です。教師教育は、そのような人材を育てる場です。ところが、実態は、形式的なカリキュラムと必要だと昔から言われている科目が大きな学習項目として設定されています。
参考:教職課程コアカリキュラム(例:中学校)
教科等28単位、教職 20、教育実習7、大学独自28単位
教科等と大学独自は、教科関連でまとめられるが必ずしも必要かどうかは疑問が残ります。たとえば、英語の場合、英語文学、英語学、異文化理解、コミュニケーションなどという枠がありますが、実際、英語力に直結するわけではありません。英語科教育法も座学のような授業も多くなっています。
教職20単位は下記のような内容ですが、これはかなり負担になる場合か、あるいは、座学になっている場合です。私が教職課程を担当している際の私見ですが、現状では教員になるのに必ずしも必要とは思われない内容です。これらの科目のために多くの学生が教職を続けるのをやめていました。
- 教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想
- 教職の意義及び教員の役割・職務内容
- 教育に関する社会的、制度的又は経営的事項(学校と地域との連携及び学校安全への対応を含む)
- 幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程
- 特別の支援を必要とする幼児、児童及び生徒に対する理解
- 教育課程の意義及び編成の方法(カリキュラム・マネジメントを含む)
- 道徳、総合的な学習の時間等の指導法及び生徒指導
- 教育相談等に関する科目
- 道徳の理論及び指導法
- 総合的な学習の時間の指導法
- 特別活動の指導法
- 教育の方法及び技術、教育の方法及び技術、生徒指導の理論及び方法
- 教育相談(カウンセリングに関する基礎的な知識を含む)の理論及び方法
- 進路指導及びキャリア教育の理論及び方法
- 情報通信技術を活用した教育の理論及び方法
もちろんすべてが無意味だとは思いませんが、実態は種々雑多で「座学」的な内容が多く散見されます。小学校、中学校、高校で実際に必要な力量は何かを考えれば、おのずと不要な科目があるはずです。先生が実際に学校でする活動を考えると、上記の基本を理解するだけで十分です。大切なことは、実際に教える内容や技能の知識であり、実際に教える方法です。実際そうはなっていないのが現状です。教師を目指す人が少なくなっている一因はこのカリキュラムにもあります。
たとえば、次のビデオを見て下さい。高校の特別活動についての学習指導要領の解説です。私はこのような細かい指示は不要だと思います。現場に任せることが大切です。これをすべて理解して、教科の先生が指導するのは過剰な要求です。
学習指導要領の改訂のポイントと学習評価(高等学校 特別活動):学習指導要領編 №65
それとともに、教員採用試験の仕組みであり働き方です。養成課程が変わらず、採用試験の前倒しや簡略化、部活動などで職務の軽減化をしたとしても、決して教育の質が高まることはありません。やはり教員の質を維持する必要があります。教職大学院は失敗しています。教員は自分が学びが好きである必要があります。教員になれば学べ続けることができるという仕組みをもっと推進すべきです。「日の丸君が代反対」とか思想的な面を統制するために国の政策を教えつける時代は終わっていると思います。学習指導要領を強制的に押し付ける時代でもありません。目標に向けて、教師が工夫でき、学ぶことができる仕事にすることが、私は現状では重要だと思うのです。
新学期 夢一杯の 未来あり