Transcendental Phenomenology
このビデオの方法論が適切かどうかは判断できません。が、超越論的現象学(Transcendental phenomenology)は、フッサール(Husserl)が提唱したことです。私は自分の研究をする上で大いに参考にしたいと思っている研究方法です。自然科学などの発展により、実証研究(empirical research)が研究の主流となり、実際の調査や観察から得たデータをもとに、仮説を検証し、結論を導き出すという、いわゆる科学的アプローチが主流の頃のことです。第 1次世界大戦から第2次世界大戦というヨーロッパでは最悪の期間に、ユダヤ人のフッサールは考えました。
現象学は、事実そのものではなく、事実から起こる人が関与する現象を扱うということです。現象は、人を介して物事を把握することで、自然科学的事実とは当然異なるわけですが、考えてみれば、人はそれで生きているわけで、自然科学的に生きているわけではありません。当たり前と言えば当たり前ですが、その方法論的な思索のあり方を示そうとしたのが現象学と理解しています。しかし、それでもよくわかりません。エポケー(epoche, bracketing)、ノエマ(noema)、ノエシス(noesis)、志向性(intentionality)などが特徴的な用語です。簡単に言うと、誤解があると思いますが、人の意識は志向性があり、その意識の対象とプロセスを余分なことを削減して(横に置いておいて)、すっきりとした現象を抽出するプロセスを現象学と考える、と言えるかもしれません。
このプロセスを「超越論的」と言っているようです。人のそうような意識は、transcendentalは、a priori(人の経験に先立つものと考えて)とほぼ同じように捉えて省略し、より大切な志向性のある意識を現象として理解するわけです。しかし、このプロセスは、そう簡単にはできません。というか、その「還元(reduction)」という意味はわかりますが、そのプロセスは、それぞれが考えるしかないのでしょう。具体的なプロセスは明確ではありません。おそらくそれは明確にはできないのでしょう。
しかし、現象を的確に理解し、それを検証しようとする方法の基礎づけはできているような気がします。自然科学が変数(variables)として排除した人の意識や認識を理解しようとする試みは、ある面で成功したと考えてもおかしくはないでしょう。現象をプロセスとして見て、人の生き方を余分なことをそぎ落として現象をすっきりさせていくことで、何かが見えてくるだろうと考えるというのはわかりやすいが、それは「超越論的」なのでしょう。
うまく説明できませんが、私はこのフッサールの考え方は好きです。自分の研究でも基本にこの現象学の考え方を応用しています。ただ現実的な方法としては、自分自身の思考と観察の記述と対象の現象の表象を明確に整理することです。また、ひとりで思考することでは、やはり「還元」はむずかしいので、reflexivityということを大切にしています。
ただここで言いたいことは、「超越論的」とか「還元」という日本語があまり好きではありません。transcendentalやreductionと英語のほうが元のドイツ語には近いので、まだ理解できます。transcendentalあるいはphenominologicalは、empiricalに対する用語で、reductionはanalysisやsynthesisに対する用語です。 日本語で「超越論的」は何か絵空事のような印象を持ちます。また、「還元」はやはり元の形に戻ることという意味で使われているようですが、「単純化する、削減する、スリム化する」という意味のほうが近いと感じています。
Edmund Husserl's Phenomenological Reduction
このビデオは私の理解とはちょっと違いますが、なんとなくわかります。まだ自分の中では整理できませんが、私の探求はおそらく「現象学」が一番すっきりします。それは質的研究でもあります。教育は科学的にということは理解できますが、それだけでは解決できないことが多すぎます。AIが発達しても教育のすべてが解決するわけではないので、現象学のようなリサーチがもっと日の目を見ることを期待します。
昼寝して 現象学が 見えてきた