2025年4月4日金曜日

Diversity / 多様性  2025年4月4日(金)

多様性(diversity)は、ダイバーシティとしてカタカナ語でも定着して使われるようになり、私たちの生活でもかなり浸透してきていると思います。が、逆に何事も複雑になり、何が正しくて何が悪くて、何を基準にどう対応するのか、何を信じてどう生きていけばよいのか、など、むずかしい時代になっていることは間違いありません。コンプライアンス(compliance)という用語もかなり定着しました。簡単に言えば「ルールをきちんと守る」ということですが、そのルールが複雑になっています。一つの大きな基準を示すのが弁護士で、その役割が重要視されるようになっていますが、弁護士も多様になっています。

少し前から、DEI (diversity, equity, and inclusion)があらゆる分野で重視されるようになってきましたが、トランプ政権はそれを否定しています。Cambridge dictionaryは次のように定義しています。

(DEI is) the idea that all people should have equal rights and treatment and be welcomed and included, so that they do not experience any disadvantage because of belonging to a particular group, and that each person should be given the same opportunities as others according to their needs:

Many academic institutions have made commitments to DEI in different ways.

The business case for diversity, equity and inclusion (DE&I) is stronger than ever.

社会が多様であるためには、公平でインクルーシブである必要があるということです。

私はこの考えは賛成です。が、アメリカ社会のある集団がそれにNOを突きつける気持ちはわかります。NOを言うこともDEIです。それも受け入れることがDEIと言われると、それもそうだと思います。しかし、それではDEIの価値が失われることになります。

要するに、多様性は大切ですが複雑になり、対応を誤れば自己矛盾(self-contradiction)に陥ります。

日本は閉鎖的な国です。多様性にはかなり脆弱です。多文化共生社会(multicultural society)を目指す日本は、言語に関しては何も言及していません。multilingualという状況は日本でも考慮しなければいけませんが、ほとんど言及することがありません。実態は、多言語になりつつあり、社会は少しずつ対応しています。が、当然ながら日本語が主です。どこの国でもほぼそれが自然ですが、多言語に配慮しています。私がよく行く英国でもそうです。アメリカ合衆国もトランプ政権の前まではそうでした。

多様性を受け入れるためには教育が大切です。しかし、日本の教育は依然として閉鎖的です。背景の異なるこどもへの配慮が足りません。教員養成課程も学習指導要領も多様性には対応していません。カリキュラムも内向きです。外国語は英語で、異文化理解を重視し、多文化多言語ではありません。私は、異文化(different culture)と言わず、文化間(interculture)という言葉を使います。

interculture = a set of relationships and ways of behaving that develop in groups whose members come from different cultures (Cambridge dictionary)

学校に行きたくない子どもの多くが、日本の教育の閉鎖性を嫌っています。次の映画が賞賛されているようですが、このような伝統的な教育が嫌いな人もいると思います。それが多様性だと考えます。

 学校も 入学式も 多様性