What is Philosophy for?
退職してから、哲学(philosophy)の本をよく読むようになりました。多少時間ができたので、読書や趣味をしています。哲学は奥が深く、結局言葉と思考の遊びで、厳密さが要求されているようです。哲学自体は、西洋哲学が基盤です。その歴史は、The Basics of Philosopyが簡潔(と言っても長い)に記述しています。私は、単純に、ギリシャに始まり、ローマ時代からキリスト教が入り、神学(theology)と交わり、イスラム教は別に発展していますが、近代の西洋哲学へと発展していったと理解します。東洋あるいはその他の地域でも哲学や宗教はもちろんありますが、それとは流れが違います。
日本は、江戸の頃までは、日本古来の思想に、インドや中国からの思想が影響を与え、独特に発展してきましたが、明治から、西洋に追いつけという方針で、科学技術だけではなく、法律、経済、社会、文化などの仕組みを取り入れ、学術的にも、哲学なども重要な分野となりました。西洋も同様で、東洋などの考えも取り入れ、少しずつ変化してきました。が、以前として日本の「哲学」は、philosophyとはなっていないように感じます。なっていないというか、やはり違うという感じがします。
京都 哲学の道 〜明治の哲学の巨人、西田幾多郎の愛した道〜 京の散歩にいかがでしょう [No.033]
現在、西田幾多郎の「善の研究」を読み出しました。読みながら、その苦労を実感しています。自然科学(natural science)の発展により、哲学も存在論(ontology)と認識論(epistemology)という大きな区分で発展してきました。西田の思想は、やはり、日本的な思想であり、哲学なんだと思います。少ししか読んでないので、あくまで現時点ではそう感じています。西洋が、「存在とは何か?」「知識とは何か?」という問いを追求しているのにたいして、日本の思想は、「人はどう生きるか」「日のこころとは何か?」などの問いが中心となっていて、人なくしては考えも何もない、というような傾向があります。西田幾多郎の哲学もそれにあたると思います。「善とは何か」という問いから、純粋経験ということから議論を始めています。
私は、哲学というのを誤解しているのかもしれませんが、単純に「考えること」と理解していました。「知を愛する」がphilosophyという英語の意味と言われています。しかし、いろいろな書籍を読むと、どうも違うようです。哲学的方法論や数学的な思考や先行文献主義などについて、やたらとうるさいです。哲学の専門については、その作法を知らない人には何も言わせない、あるいは、わからないように操作しているようにしか見えないものもあります。特に、日本語の翻訳はそうです。英語の方がわかりやすい。たとえば、現象学的還元は英語で、phenomenological reductionと言います。reductionの辞書的な意味は「削減」です。還元の意味にありますが、還元は「元に戻す」という意味です。ちょっと違います。ある説明では、現象学的還元を「確信の成立の条件と構造」と説明しています。これはよくわかりません。専門家的に言うとそうなのでしょうが、たぶん、「現象をスッキリとする」というのが現象学的還元のことだと、私は理解しています。
哲学は私たちの生活でとても重要です。最近の世相を見ているとそう思います。いろいろな現象が極端に歪曲されて理解され、意見の対立が起きているような気がします。もっと物事をスッキリと正確に見て合意形成をして、よく生きる(wellbeing)をするには、哲学は重要だと考えます。
春霞 哲学しよう 気分よく