Tanabata – The Star Festival | Kids World Stories | Japanese Bedtime Story
今日は七夕です。七夕には、笹の葉に短冊をつけて願い事をする行事となっています。「星に願いを」ということを織姫と彦星が1年にこの日だけ会えるという逸話に重ねたのでしょう。意味はいろいろありますが、夜空を見上げるのはいいことです。私の住んでいるところから夜空を見ても、それほど星はきれいに見えることは少ないですが、ロマンティックな気分になります。
もともと中国の話です。学問や仕事を怠るのはいけないという意味もあるようです。願いというのは叶うものではなく、それを叶えるためには努力も必要だということでしょう。日本では神にも仏にも何にでも願いごとをする傾向があります。私もその一人です。宗教的な気持ちは持っていますが、何か姿形のない自然の中の何かに祈ります。星もその一つです。短冊にも機会があれば願いを書いています。昨日は、スーパーに行った帰りに靴の裏を見たら、誰かが書いた短冊がくっついていました。悪いことをしたと思いながら、代わりに祈りました。
そうして思うことは、最近(というわけでもないですが)ちょっと気になるのは、学習が単純化されて、「この方法をすればこうして伸びる」「この学習方法で〜が〜点上がる」「英語はこれで話せるようになる」などのキャッチコピー(catch word or phrase)が目立ちます。そんなものはないと考えるのが、私は、真っ当な考えではないかと思います。が、なぜか人は単純で明快な言説に惹かれる傾向が強くなっているように思います。本もメディアもそのような傾向があります。悪いものは徹底的に攻撃し、攻撃された側も誤りを認めずに反抗します。噂や流言などは、ソーシャルメディアで垂れ流しです。きちんとした検証も新聞などでは掲載されていますが、あまり注目は集めないし、それを正当な考えと決める権威も揺らいでいます。何かとても危険な風潮を感じてしまいます。
学ぶということや物事を考えることなどに、早道はないという考えは、歴史的に経験的にある程度信頼のできることです。危険な理論や思想や道具の多くは、歴史の中で排除されてきています。核兵器、化学兵器、カルト、麻薬などなど、何とかコンセンサスを経て制御してきました。しかし、そのようにして確立した学びが、単純な論理の飛躍により、傍に置かれ、声が小さくなり、また、多くの人は、あえて火中の栗は拾おうとしないのです。
ソーシャルメディアやAIの急速な発達により、多くの人は情報過多(information overload)になっています。このことは以前にも指摘しました。整理がうまくできないわけです。こうして、思考停止(brain cramps)の状態になってしまうと、それ以上進まなくなります。過去の日本もそのような傾向にありました。これは避けられないことですが、以前はマスメディアがある程度整理してくれました。しかし、現状は違います。さらに、追い討ちをかけるように情報が襲ってくるのです。
Never Stop Learning || Story In English
結論、学ぶことを私たちはやめてはいけないということを言いたいのです。学ぶこと、考えること、すぐに答えを求めず、自分の頭で時間をかけて考えることです。その時間を多くの人が取れるような社会に戻す必要があります。情報を多くし早くするよりは、整理してゆっくりと吟味することが大切になっていることに気づいてほしいと思います。学びというのは、答えを早く求めることではなく、学びは続けることにあります。間違うことも学び、考えを変えることも学び、本を読む、人の話を聞く、議論する、書くなど、思考を止めないことが大切だと思います。学びに、上も下も、良いも悪いもないのです。王道などはもちろんないのです。死ぬまで学びたいと思っています。
ドクダミは 日陰に可憐に 咲く花