2025年3月30日日曜日

Walk / 歩く  2025年3月30日(日)

     Do you really need to take 10,000 steps a day? - Shannon Odell

私はほぼ毎日歩きます。歩くのが好きかというとそうでもありません。できれば部屋でゴロゴロしているのが好きでした。しかし、最近は、それもつらいです。寝ているか椅子に座っているかが多いかもしれません。椅子に座ってテレビを見るかパソコンに向かっているかどちらかです。机に向かって座ることは最近あまりありません。そのために、外に出るとできる限り歩きます。

Why Walking Helps Us Think

というThe New Yorkerの記事を読みました。身体を動かすこと、歩くということ(walking)と書くということ(writing)は、考えること(thinking)と強く関係するという記事です。その中で次のように述べています。

Such maps clarify how much these novels depend on a curious link between mind and feet. Joyce and Woolf were writers who transformed the quicksilver of consciousness into paper and ink. To accomplish this, they sent characters on walks about town. As Mrs. Dalloway walks, she does not merely perceive the city around her. Rather, she dips in and out of her past, remolding London into a highly textured mental landscape, “making it up, building it round one, tumbling it, creating it every moment afresh.”

確かに誰もが経験することです。歩きながら考えていて、どこを歩いているかも記憶がないとか、景色を見ながら違うことを想起していたりすることです。次のようにも述べています。

Perhaps the most profound relationship between walking, thinking, and writing reveals itself at the end of a stroll, back at the desk. There, it becomes apparent that writing and walking are extremely similar feats, equal parts physical and mental. When we choose a path through a city or forest, our brain must survey the surrounding environment, construct a mental map of the world, settle on a way forward, and translate that plan into a series of footsteps. Likewise, writing forces the brain to review its own landscape, plot a course through that mental terrain, and transcribe the resulting trail of thoughts by guiding the hands. Walking organizes the world around us; writing organizes our thoughts. Ultimately, maps like the one that Nabokov drew are recursive: they are maps of maps.

「歩くという行動は世界を構成し、書くということは思考を構成する」とあるように、私が歩くのは自分がいまある存在を確かめているような気がします。歩かないと脳がそれを理解してくれないような気がします。知らない場所に旅をすると、まず歩いて確認します。そうすると脳にも地図ができます。書くという行為は最近あまりしてません。このようにタイプします。実際の手書きとは違いますが、考えます。ときどき、メモを取ります。ぐちゃぐちゃなメモですが、私の脳にとってはとてもいい感じで記憶に残ります。私は字を書くのは嫌いで、絵とか図を描きます。その方が理解しやすいのです。

似たような表現で、「知行合一」(知識と行動はいっしょ)という陽明学で有名な王陽明が唱えた考え方とされていますが、確かに知識だけでは意味がないでしょう。知るということと、それと関係する行いは多くの場合いっしょの方が適切です。それと似た言葉で、「主客合一」(主観と客観はいっしょ)と言ったのは西田幾多郎です。自然科学では客観が重視されています。主観は科学的分析には適さない、人によって違うからということです。西田は、主観と客観はいっしょといいます。分けることはできないという主張です。このような考えは当時から強く多くの人が言っていますが、これはなかなか証明することができません。

歩くことと書くことなど、人間の行動が脳と関係することはある程度証明されています。しかし、思考にどう影響するかは微妙です。しかし、私は、歩くことは、私が考えることに大きな影響を与えていると実感します。書くということは、たぶん、手を使うことが脳と関係しているので、それが思考に影響を与えると考えることができます。しかし、これらは証明されてはいないでしょう。そうではない場合も多々あるからです。歩くことも書くこともできない人でも考えることはできます。

さて、それはどうでもいいことですが、私は歩きます。雨でない限り毎日歩きます。階段も登ります。走ることは最近やめました。考えたいからです。景色が見たいからです。特にこの時期はサクラやその他の花がみんなきれいでこころが和みます。


空の青 川の青にも あたたかし