2025年6月30日月曜日

An older person's bus pass / シルバーパス 2025年6月30日(月)

このイングランドのsenior travel bus passはとても羨ましい制度です。が、東京都でもシルバーパス(an older person's bus pass)という制度があり、私もその恩恵に預かり出しました。10月からはさらに値下げとなるそうです。とてもありがたい制度です。他の国でも同様の割引制度(concession system)があります。高齢化の日本では70歳以上となっていますが、60歳とか65歳という国もあります。ほぼ退職と同時にそのような制度が適用されるようですが、日本は70歳、さらには75歳、さらには死ぬまで働く方向で進んでいるようです。

元気だからということで、あるいは、年金が少ないということで、年齢が増しても働いている人が少しずつ多くなっています。工事現場の交通整理などで年配の人や海外の人をよく見ます。労働人口が足りない、働かないと暮らせないなど、高齢者が安心して暮らせない社会になっていることは、残念です。私の世代は、若い頃は経済的には恵まれていたと思いますが、中年に至る過程で暮らしに翳りが見え、退職の段階まで続きました。私はまだ恵まれていたと思いますが、68歳の退職年齢を迎える1年前に退職しました。

人生は仕事や金のためだけではありません。何をしたいかということも重要です。私は転職を経験したので、退職という意識はなく、仕事の質の関係で、職場のために生きてきていないので、働いている場所にこだわりはまったくなく、さっさと退職してサバサバしています。仕事にも職にも未練はなく、現在はやりたいことをしています。この日記もその一環です。「生きている」ということを大切にして暮らしています。今が楽しいです。

しかし、年齢というのは生物学的、物理的、生理的な現象で、身体はあちこち調子が悪く、自転車でもこけたり、歩いていても障害物に躓き激しい転倒をしました。目も耳も鼻も、あちらこちら次第に故障します。シルバーバスはその点でありがたいです。私の住まいの近くにバス停があり、比較的頻繁にバスが走っていて、最寄り駅までそれほど歩かなくても行けます。近くの高齢者の人は毎日のように生活のためのスーパー通いにバスを利用しています。

もう少しお願いしたいことは、イングランドのように、鉄道や私鉄やJRや地下鉄なども割引パスが利用できると本当にありがたいと思います。そこまで要望するのは甘えなのでしょうか?ヨーロッパでは、その程度まで割引があるところが多いです。歳をとったらせめてそのくらいは優遇してもよいと思います。ますます高齢化する社会では高齢者は死ぬまで働き税金を支払い、自分の人生ではなく国のために働かせ続けるのでしょうか?日本は必ずしもいい国とは言えないのではないでしょうか?


6月は 雨の日の傘 の思い出





2025年6月29日日曜日

Hybrid languages / 混じり合う言語 2025年6月29日(日)

日本語は一般的にこのように説明されることが多いですが、英語もそれに加わります。30年ほど前に、英語がそのまま日本語の中に入る現象を学会で報告したことがあります。発表タイトルは、English words into the Japanese writing systemで、AILA (国際応用言語学会)という大会です。国際大会での発表は初めてだったので、あまりいい発表ではなく、注目もされませんでした。ただ、その頃は、「電車でGO」などが新聞にも載り、inやwithなどの前置詞が日本語の中にそのまま使われ出し、カタカナ英語ではなく英語そのものが使われる傾向が顕著だったので興味を持っていました。

英語学的には、creolesやpidginsなどが以前から研究され、植民地などで英語が浸透するに従い、その土地の言語と英語が混合し、独特の言語を形成してしまうという現象があることは知られていて、言語学的にはネガティブは印象が持たれていたと思います。が、この30年の間に、地球規模で人や物の動きが増大し、特に英語の必要性が大きくなり、また、他の言語もそれぞれの状況で意味を持ち、多言語多文化が盛んに叫ばれてきています。言語が混じり合うのは自然だと思って、日本語もどんどん変わるだろうと考えていました。

その後その調査研究には興味を持たず、違う方向に行きましたが、私は、できる限り英語そのものをそのまま使うようにしました。カタカナ語は悪影響だと考えたわけです。カタカナ語は基本的にそのもとの言語の発音に近い音の表記です。しかし、ヨーロッパ言語であれば似た言語形式となっているので、混乱します。英語を使うことが多いので、どちらかと言えば、そのもとの表記で使う方が誤解は少ないだろうと思います。たとえば、テーマ (theme)、ウィルス(ビールス)(virus)、エネルギー(energy)、ワクチン(vaccine)、オーバードース(overdose)など。

英語をそのまま使ったほうがいいというもう一つの理由は、私が英語教育にかかわっているからでしょう。国語教育者だったら、おそらくそうは言わないかもしれません。私は、基本的に科目としての英語はそれほど興味がありません。それは、英語学や英文学が嫌いだという意味ではありません。英語学も英文学も関係なく相当勉強しています。ただ、それを学習者には要求しません。英語だけきちんと勉強してもそれほど仕事はないし、国際的には活躍できないでしょう。「英語+」ということが多くの人には重要だと考えています。よくネイティブの発音ということをよく言う人がいますが、私は通じることが大切だと思います。

さて、前置きはそれくらいにして、混じり合う言語(hybrid languages)について考えましょう。同様の現象はいくつかの表現で言われていますが、The Rise Of Hybrid Languagesでは次のように説明されています。

Hybrid languages are not a new concept; they often arise in areas where people feel connected to more than one cultural identity. The use of creoles and pidgins date back to ancient times, arising out of the necessity for two or more cultures to communicate e.g. when trading. They are seen as valid forms of communication, with many forms having roots in colonialism and the blending of European and indigenous languages.

それだけではなく、ふつうの生活やアカデミックな場でもこの傾向は顕著になっているように思います。その背景には、互いの言語がある程度わかるということがあります。最近多くの観光客が日本にも訪れるようになって、日本語に関してある程度わかっているので、英語と日本語を自然に使うことで、多くのコミュニケーションはスムーズに行きます。同様のことは、海外でもそうです。有名な場所には多くの人がどこでも世界中から集まります。インターネット上でも同様のことがあるようです。翻訳も便利になり、言語がますます混じっていきます。

私の場合、基本は日本語と英語ですが、必要に応じて他の言語も使います。しかし、それはそれほど新しいことではありません。日本では漢文として中国語を導入したように、やり方は多様です。その意味で、英語は英語のまま使い、その他の言語も文字の問題をクリアすれば混じり合うことはありえると思います。


混じり合う 言葉も文化も 夏の色





2025年6月28日土曜日

Awareness / 気づき 2025年6月28日(土)

なんとなく道を歩き、周りを見て、音を聞き、匂いを感じ、肌で気配を感じ、感情がわき、ふと我に帰ります。何をしていたのか、何を考えていたのか、一つのことを考えていたと思ったら、違うことを考えていた、などは、私にとっていつものことで、年齢とともに、忘れる才能も身につきました。嫌なことも嬉しいことも、すぐに忘れます。認知症という用語が飛び交いますが、ちょっと前は、「痴呆」と言っていました。印象が悪いので用語を誰かが作ったわけです。英語は、dementiaでそのまま使われていますが、cognitive imparimentなどと言われます。

小さい子どもを見ていると、注意や行動がすぐに変わります。が、よく見ると、何かに注意して観察する様子が次第に出てきます。The Core of Success: Awareness & ObservationというWebサイトに次のようなことが書かれていました。

Awareness and observation are actually skills that must be nurtured and developed, just like reading and writing. They’re foundations for learning, and the better your child is at observing the world around them and at being aware, the easier it will be to master the skills that come after, such as being an effective communicator or adapting easily to change. 

そう思います。私もそうありたいと思いますが、集中力が続きません。観察もいい加減になり、気づくという新鮮な知的感覚が鈍くなっています。Observationは自然科学でも人文社会科学でも基本ですが、アカデミックなことに慣れてくると、データだけを見て、記録だけを積み重ねて、仮説検証にのみ陥ってしまうことがあり、自然を見なくなる人もいます。人文科学でも同じですが、多少人を見ます。人を見るためにバイアスがかかり、自分の意図を優先しがちです。私は基本的に人文科学の人なので、その傾向があり、いつも反省しています。

The Importance of Observation in Our Livesによれば、

  • Observation is the lens through which we perceive the intricacies of the world.
  • Observation sparks questions, drives experimentation, and fuels the pursuit of knowledge.
  • This introspective observation enables us to identify patterns, cultivate mindfulness, and navigate the complexities of our inner worlds.
  • Observation is the bedrock of effective communication and meaningful connections with others.
  • Observing diverse cultures, perspectives, and ways of life fosters a deep appreciation for the richness of human diversity. 
  • Observation is a key component of mindfulness practices. 
  • Problem-solving is intricately tied to keen observation.
  • Observation is the catalyst for learning
  • Observation is a dynamic process that enables us to adapt to change and embrace innovation
  • The habit of observation nurtures a curious and inquisitive mindset.

上記のように観察は重要だと思いますが、言葉で言うほど簡単だとは思いません。何度も何度も見ても、見えるものは違って見えます。あるいは、何度も見ても見過ごします。録画して見たものは、実際に見たものとは違います。すべて変わるわけです。一瞬は次の一瞬とは違います。『存在と時間』のハイデガーが言っていることはよくわかりませんが、観察は、自分の存在と世界の存在と、その時間に大きく依存すると考えています。その気づき(awareness)は、どのように観察を認識するのかということにつながります。

Awareness is the Key to lifeに次のようないい言葉ありました。

What Is Awareness?

In simple terms, awareness means paying attention—being conscious of your thoughts, feelings, and actions. It’s the difference between being on autopilot and actively noticing how you react to situations. Most of us go through life reacting without thinking, often blaming outside circumstances for our problems, but real change happens when we turn inward and start looking at how we contribute to those circumstances.

気づくことで状況が変わるということです。気づかない限り何も変わりません。人生はその連続のように思います。


梅雨明けも 暑い6月 気づきあり


2025年6月27日金曜日

Moomintroll / ムーミン 2025年6月27日(金)

Moomintrollが日本ではムーミンとなり定着しています。しかし、Moominはある種の生物の名称と考えるがふつうです。Moominpapa、Moominmama、MoomintrollとMoominvalleyにいるさまざまな生き物の話が総じて、ムーミンの話となっています。Tove Janssonが創作したThe Moominsは次のような作品として出版されています。

  • The Moomins and the Great Flood (1945)
  • Comet in Moominland (1946)(ムーミン谷の彗星)
  • Finn Family Moomintroll (1948)(たのしいムーミン一家)
  • The Exploits of Moominpappa (1950)ムーミンパパの思い出)
  • The Book about Moomin, Mymble and Little My (1952)
  • Moominsummer Madness (1954)(ムーミン谷の夏まつり)
  • Moominland Midwinter (1957)(ムーミン谷の冬)
  • Who Will Comfort Toffle? (1960)
  • Tales from Moominvalley (1962)(ムーミン谷の仲間たち)
  • Moominpappa at Sea (1965)(ムーミンパパ海へいく)
  • Moominvalley in November (1970)(ムーミン谷の十一月)
  • The Dangerous Journey (1977)
  • Villain in the Moominhouse (1980)
  • Songs from the Moominvalley (1993)
ムーミンの物語としてはハイライトされた作品ですが、Tove Janssonはその他にもたくさん活動をしています。映画にもなりましたが、多才な人です。

日本では、ムーミントロールとは言わずに、ムーミンと言っています。日本語訳されたタイトルには訳本によって少し違っていますが、すべてムーミンです。テレビで放映された番組が、ムーミンとした影響なのか、最初に訳した人が発端なのかわかりませんが、MoomintrollはMumin, Muumi, ムーミンとなり、ムーミンパパ、ムーミンママとなりました。Trollは北欧の妖精を表す言葉で、日本のトトロの語源とも言われます。

さて、日本にはムーミンバレーパークも埼玉にできて、ムーミンショップがあちこちにあります。しかし、ムーミンの話を多くの人はどのくらい知っているのでしょうか?というのが本日のテーマです。かく言う私もきちんと読んでません。その印象からすると、子どもが読むには、ちょっとむずかしいというか、おもしろみがわからないというか、少し屈折しているというか、大人の私が読んでも考えさせられます。Moonminvalleyで、Moonminhouseにみんな集まり、出入りするものはMoominfamilyとなります。ムーミンシリーズのさいごの話、Moominvalley in November (1970)(ムーミン谷の十一月)では、その中心となるthe Moominsは登場しないで物語が展開します。ストーリーはそう簡単ではなく、いろいろと考えさせられる展開です。

フィンランド的と言えば、フィンランド的なのかもしれません。しかし、フィンランドの人がそれほどムーミンが好きかというとそうでもないような気もします。ムーミンは確かにフィンランドの文化でフィンランドを象徴する一つですが、その意味は、日本の人がムーミンを好きなことと質が違うような気がします。日本の人にとってムーミンはフィンランドへのあこがれと強くかかわります。フィンランド人はそれとは違います。ムーミンは彼らのアイディンティティの一部で、物語に出てくるキャラクターは彼らの生き方を表し、よりどころになっていると考えます。Moominfamily, Moominhouse, Moominvallleyはフィンランドの人と自然なのでしょう。


夏至祭は ムーミンとともに フィンランド




2025年6月26日木曜日

Born-digital records / デジタル記録 2025年6月26日(木)

赤木俊夫さんの文書が開示され、森友学園への国有地売却をめぐる財務省の関与が明らかになるのではないかと思われたが、予想通り何も有効なことは出て来ないようです。肝心な箇所は公開されないか、破棄されたか、黒塗りか、という結果です。公開された文書は紙で相当のページになっているようです。おかしくありませんか?

デジタル庁ができて、デジタル化が推進されるのかと思いきや、公文書類がデジタル化していない、あるいは、意図的にデジタルでは開示しない、ということなのでしょう。だいぶ以前から多様な資料(archives)がデジタル化され閲覧がされるようになりました。もともとデジタルで記録されたものも多くなり、Born-digital recordsと言われています。

Born-digital records are records that have been natively created in digital format (rather than digitised from paper records).

たとえば、email, text-based documents (for example Word documents, Google documents), presentations (for example PowerPoint), spreadsheets (for example Excel), PDFs, images and videos, CAD drawings, 3D models, data sets and data bases などがあります。

公益の資料を紙でなおかつ提供する側が選別して公開するという方式が罷り通るようであれば、情報を隠すことは容易であり、情報が保管することが難しいということで廃棄されるということは、歴史的に見ても検証ができないということであり、公益の資料がそうして隠匿されることは、国民の知る権利を制限するものであり、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」の趣旨には適さないと考えます。

第一条 この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

しかし、この法律には、公開しない条件が定められています。それにより「黒塗り」が普通になっています。これは、どう考えても、情報公開の英語 public interest disclosures(公益情報の開示)にはそぐわないのです。その点を誰も指摘しないのは私には納得できません。それでは、その情報にかかわる人が内部告発(whistleblowing)することは、法に違反するのでしょうか?

いずれにしても、赤木さんの問題は闇の中で、組織の中で精神を病み自殺したという事実はありますが、その原因は、改ざんを強要されたことに起因すると考えられますが、明確な証拠がなく、誰の指示により改ざんされたのかがわからないということになります。この構造は、あらゆるところにあります。日本だけではありません。権力を持つものはそれをします。public interest disclosuresがあったとしても、それを曲げることもできます。ロシアやアメリカという大国がそうしています。国連も機能しません。小事は大事(Big things have small beginnings)などと言いますが、紙ではなく、デジタルによる記録を徹底して、データは徹底的に保存して、公益の情報はすべて公開にするような透明性を担保するようにして、ひとりで抱え込まず、見えるようにすることが、public interest disclosuresの基本ではないかと思います。


見える化は 梅雨明けの空 夏は来ぬ



2025年6月25日水曜日

Phenomenology again / 現象学再び 2025年6月25日(水)

現象学(phenomenology)は、わかりやすそうでわかりにくい哲学ですが、私は哲学とは考えず、ただ現象をどう考えるかという程度に考えています。哲学の人が読むと「何を言っているのだ」と怒られるかもしれません。基本的にはHusserlの考え方に影響を受けています。しかし、Husserlの考えを解釈していろいろな方が説明していますが、それを読めば読むほど混乱します。結局何が言いたいのかわからなくなります。一つ引用させてください。

Open Educational Resources Collectiveを引用します。

Qualitative Research – a practical guide for health and social care researchers and practitioners Copyright © 2023 by Äi0Darshini Ayton; Tess Tsindos; Danielle Berkovic 


Phenomenology is a method and a philosophical approach, influenced by different paradigms and disciplines.1


Phenomenology is the everyday world from the viewpoint of the person. In this viewpoint, the emphasis is on how the individual constructs their lifeworld and seeks to understand the ‘taken for granted-ness’ of life and experiences.2,3 


Phenomenology is a practice that seeks to understand, describe and interpret human behaviour and the meaning individuals make of their experiences; it focuses on what was experienced and how it was experienced.4 Phenomenology deals with perceptions or meanings, attitudes and beliefs, as well as feelings and emotions. The emphasis is on the lived experience and the sense an individual makes of those experiences. Since the primary source of data is the experience of the individual being studied, in-depth interviews are the most common means of data collection (see Chapter 13). Depending on the aim and research questions of the study, the method of analysis is either thematic or interpretive phenomenological analysis (Section 4).


Phenomenology focuses on understanding a phenomenon from the perspective of individual experience (descriptive and interpretive phenomenology) or from the lived experience of the phenomenon by individuals (new phenomenology). This individualised focus lends itself to in-depth interviews and small scale research projects.

このように、現象学の考え方をリサーチとして利用することに、私は興味があります。この日記もそうです。この日記は、誰かに対して主張することが目的ではなく、私自身を考えることを目的にしています。言い方を換えると、私の現象の志向性(intentionality)をautoethnographyという観点から記述しています。

私の主たる興味は言語教育です。それも、単に言語を言語として形態と意味、統語、表象などの言語そのものというよりは、社会における言語、多言語、言語と文化、内容と言語など、どちらかと言えば生活の中の言語学習と教育、統合学習としての言語の役割などです。特に、CLIL(内容と言語を統合した学習)というバイリンガル教育に関心があり、その多様な学習を実践研究しています。その関係から、学習の現象を考えています。

日本のように日本語が圧倒的に強い状況では、英語という言語に対して不思議な志向性を持っています。その延長として他の外国語があります。しかし、韓国語と中国語に関しては異なる意識を持っている場合がありますが、学習となると伝統的な英語学習の延長として受け取ります。バイリンガルという人はそれなりに日本に住んでいるにもかかわらず、韓国語や中国語とのバイリンガル話者はあまり注目しません。英語やヨーロッパ言語と日本語とのバイリンガルが注目されます。欧米文化や言語に対するバイアスが意識せずにあります。この志向性は一つの現象となって存在します。

その点から、日本の多くの現象に興味があり、街を歩く、人と話す、何かをするなど、すべての現象に興味があり、私自身にも興味があります。人はそのような主観的で相互主観的な状況から逃れられません。しかし、逃れようとしなくても、その中でそのような現象を観察することは、言語教育の発展につながると思っています。


現象は 6月の空に 漂う



2025年6月24日火曜日

The wet season / 梅雨 2025年6月24日(火)

梅雨(the rainy / wet / plum season)は独特の表現ですが、最近は昔のような感覚がありません。気候変動という大きな環境の変化により、日本の気候自体が変わりつつある現状では、梅雨という表現は無意味な気がしてきます。伝統的に定着しているので、梅雨入り、梅雨明けなど、マスコミは報道していますが、梅雨の季節はうっとうしく、やがて来る夏を待つ時期として、それを楽しむ雰囲気がありました。紫陽花がその象徴でしょう。紫陽花と雨と傘などが風情を演出します。しかし、集中豪雨や台風などが激しくなり、その被害が厳しいものになるにつれ、私たちの意識は変わってきました。

雨季(rainy season)というのは、場所によってかなり異なります。日本は温暖湿潤気候の雨季ですが、亜熱帯気候ではないかと言われます。このような気候だと東南アジアではモンスーンと判断される状況に近づくのかもしれません。

A monsoon is a reversal of the mean wind direction and with it come changes to the climate of a region. The onset and strength of a monsoon are hard to predict, but once they start the altered winds can remain in place for months. Monsoons can often bring significant rainfall increases but this is dependent on the geography of the particular place. The rain associated with monsoons can differ depending on where you are, but precipitation can sometimes last for days without stopping. -- Met office

CountryMonsoon Season
IndonesiaOctober - April                          
ThailandMay - October 
MaldivesMay - December
Sri LankaApril - May and October - December
VietnamMay - December
CambodiaMay - October
Northern AustraliaDecember - March 
Northern BrazilDecember - March
IndiaJuly - November
South and Southeast China

May - September

TaiwanMay - October

日本に旅行で訪れる人が、日本の暑さにヘキヘキとしているインタビューを見ます。確かに、日本の暑さと湿度の高さには私もうんざりします。

私は、温度(temerature)よりも湿度(humidity)が嫌です。暑くてもカラッとしている場合は、夜になると暑さが静まります。が湿度があると、いつまでも暑いと感じます。外国に行き、日本に帰ってくると、日本の湿度に耐えられないことがあります。日本だけではなく、熱帯や亜熱帯地域に行くと同様ですが、そのような地域は室内ではだいたい冷房が効いています。あるいは、夜になると比較的過ごしやすくなります。その点から日本の夏は亜熱帯ではないかと思います。

地球温暖化(global warming)は日本にいる限り、そうだと実感します。ヨーロッパなどでheat waveというニュースが同様に頻繁にありますが、日中暑くなっても夜は比較的温度は下がり湿度はそれほどではありません。その点からすると、日本の夏は温度も湿度も高く、7月、8月、9月は日本にいたくないです。日本にいる場合はエアコンをずっと使っています。最近もほぼエアコンを使っています。

私が大学生の頃はエアコンもなく都内で過ごしていました。また、埼玉で高校の教員の頃も学校にはエアコンはありませんでした。それから考えると私の生きている範囲では温暖化は間違いないと思います。梅雨という気分ではありません。


梅雨の頃 君と歩いた 雨の中




2025年6月23日月曜日

Gandhi & Tagore / ガンジーとタゴール  2025年6月23日(月)

マハトマ・ガンディー(Mahatma(Mohandas) Gandhi)は、私の世代では、インドの独立の父で非暴力の政治指導者としてよく知られている人です。今よりはインドという国に親しみを持っていたように思います。ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)というインドの詩人で、ノーベル文学賞を受賞した人の話も、いろいろなところで聞きました。この二人のインド人は、私の中でもいまだに影響を与える人です。

ガンディーは、英国支配からインドの独立を勝ち取りました。英国での教育を受けて、インドの歴史と伝統から、非暴力を選び戦いました。この姿勢は、インド哲学・ヒンドゥー教などから培ったようですが、私にはその知識は不足しているので、割愛しますが、英国に対して力で対抗してもいいことはなく、英国に対抗するには、インドの伝統ということなのでしょう。

Freedom from all attachment is the realization of God as Truth.

An eye for an eye makes the whole world blind.

Power is of two kinds. One is obtained by the fear of punishment and the other by acts of love. Power based on love is a thousand times more effective and permanent than the one derived from fear of punishment.

このようなガンディーの言葉が、彼の非暴力の思想のもとです。しかし、私が知る限りでは、不服従を基本にそれを組織立てて運動としていったことに偉大さがあると思います。ガンディーは道半ばにして、イスラムとの融和に力を注いだ青年に射殺されてしまいますが、この事件は、その後にもずっと続く対立にもつながります。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

Hate the sin and love the sinner.

タゴールは、Gitanjali (Song Offerings/Singing Angel)英語訳)という詩集でノーベル文学賞を受賞しました。日本語訳も読めます。

Thou hast made me endless, such is thy pleasure. This frail vessel thou emptiest again and again, and fillest it ever with fresh life.

This little flute of a reed thou hast carried over hills and dales, and hast breathed through it melodies eternally new.

At the immortal touch of thy hands my little heart loses its limits in joy and gives birth to utterance ineffable.

Thy infinite gifts come to me only on these very small hands of mine. Ages pass, and still thou pourest, and still there is room to fill.

.....

Gitanjali ヒンドゥー教の聖典となるBhagavad Gita (the Song of God)が元にある叙事詩とも関連する作品です。そのBhagavad Gitaは、ガンディーの思想のもとともなっています。ヨガに惹かれる人は、ほぼこのようなインドの思想の影響を受けています。

インドには、私一度だけ行ったことがあります。Chennaiという南インドの大都市です。ビザを取り忘れたのですが、空港でお金を払ったら入れました。ほんのちょっとの滞在でしたが、街をひとりで歩き鉄道に乗り、Rickshawに乗り、マーケットに行き、学校を訪ね、教師と話しました。一口では語れませんが、優秀な人たちが多く、勤勉です。議論もよくします。人も親切ですが、貧富の差が激しく、道端に多くの人がそのまま寝ていました。とても興味深い国ですが、案の定、下痢となり苦しい旅行でした。それ以来訪ねる機会もありません。

 Chennai Street Food Marathon! South India SMASHES North India!

宗教的にはヒンドゥー教は大切な宗教のようで、イスラム教と対立してしまうのも仕方ないのかもしれません。が、ガンディーの行動やタゴールの思想からすると、インドはもっと発展して世界に影響を与えてもいいような気がします。二人は戦前の日本のアジア侵略を批判しています。中国やインドは古くからアジアの要ですが、互いに大国であり、結びつくことはなかったようです。その影響を大きく受けている日本は、アメリカ寄りの政策で動いています。背景には歴史や思想の違いがあります。イスラム教もアジアでは重要です。どれも思想が違います。Yogaはつながりという意味だそうですが、つながりません。非暴力は現在ではまったく通用しない時代になりました。力がすべてです。

日本は、平和を訴える国です。平和は必ずしも非暴力ではありません。多くの人は平和を求めていますが、それは隣人の平和であり、対立する人の平和ではありません。


戦さやめ 蛍飛び交う 非暴力




2025年6月22日日曜日

The way it should be in summer / 阿留辺畿夜宇和 夏  2025年6月22日(日)

この日記は、阿留辺畿夜宇和をテーマとして昨年の8月に思い立ち始めました。1年間、日々の「生きた経験(lived experience)」(「生きられた経験」と訳されていますが、私はこのように使っています)を、思いついた内容を思いついたままに記述しようと考えたのです。毎日はやはり厳しかったので、ときどきはスキップしましたが、なんとか続けてきました。一人で日記帳に書くよりは、こうしてブログという形で記録するほうがやりやすいし、誰かが目に触れて読んでくれることもあるほうが、よい思考ができると思ったからです。また、ダラダラと書くことで自分の思考の乱れや間違いや勘違いも、それはそれとして記録するという気楽なやり方が、何か生み出すかどうかも実験したいと思ったからです。

阿留辺畿夜宇和は明恵上人の言葉です。明恵上人は『夢記』を残しました。私は全部は読んでいませんが、夢を記述し続けたということや、自分の考えに忠実に生きたその姿勢は見習うところがあり、興味があり、高山寺にも行きました。自分に正直な人だと思います。なんとなく惹かれます。華厳宗に帰依して、一生を終えた人です。親鸞や日蓮のように自分の宗派を作ろうとはしないで、ただただ自分を生きた人だと私は思いました。その生き方が好きです。

あかあかや あかあかあかや あかあかや 

あかあかあかや あかあかや月

明恵上人の有名な和歌です。遊びです。自由に遊ぶ。明恵の阿留辺畿夜宇和をよく表していると思っています。

さて、私の阿留辺畿夜宇和はなんだろうといつも考えます。この日記でもいつも探しています。ある話題を決めて、自分の考えを整理します。この思考の整理の中で、私が心がけるのは、reflexivityです。自分自身の思考の偏りや論理が適切かどうかを確認するようにします。その一つは、いわゆるcritical thinkingです。哲学では、弁証法(dialectic)などと論理的思考の方法論につながるのかもしれません。この点については以前にも書いたと思いますが、私の阿留辺畿夜宇和は、このプロセスを大切にしていることです。結果はそれほど重要ではなく、ある思考の現象のプロセスを絶えずふりかえりながら、また思考します。

具体的にこの時点での私の阿留辺畿夜宇和は、ただ毎日を生きることです。「生きる」ということの意味は「息をしている」ということだけではありません。私の場合は、「考える」「読む」「書く」「聞く」「見る」「話す」「歩く」などなど、日常を過ごすことです。明日はもうないと考えながら、「今日を生きる」「発見する」「学ぶ」などです。歩くことは発見の連続で毎日自然に学びます。空は毎日違います。川の水も草も花のも鳥も毎日違います。こころも毎日違います。そのすべてが私の阿留辺畿夜宇和だと思っています。長い夏が始まります。


飲み過ぎた 翌朝の窓 夏が来た





2025年6月21日土曜日

Compliance / コンプライアンス  2025年6月21日(土)

コンプライアンス (compliance)という用語が日本でも定着してきました。「(企業などが)法令などを守ること」ということで、企業倫理などに厳しく適用されています。MBS (Munich Business School)  では次のような説明がされています。

Compliance in companies has become a cornerstone of good Corporate Management. In the face of an increasingly complex regulatory landscape, compliance with legal requirements and standards is not only a legal necessity, but also a decisive factor for the long-term success and reputation of a company.

企業が社会的に評価されるためには重要な観点で、利潤追求だけを求めることは良しとしないということです。が、個人としてはそれほど要求されることではないと考えられます。私たちがそれを遵守していることを社会に対して示すことは、法令として求められているわけではありません。しかし、なぜか世の中全体が、個人であっても厳しい目に晒され、生きにくい世の中になっているような気がしてなりません。

 特に、HR (human resources) complianceは重要視されているようです。

The main goal of HR compliance is minimizing legal and regulatory risks for businesses while creating a fair and ethical workplace.

各会社にはその部署があり、社員に周知し教育する必要があります。

Develop workplace policies and procedures. This includes non-discrimination and anti-harassment policies and the employee code of conduct.

Stay informed of changes in employment laws and regulations. HR teams need to have specialized professionals on board, who can keep an eye on legal updates that might impact their business.

Provide training programs for employees and managers. Compliance training is key to raising awareness on topics like workplace safety, diversity and inclusion, and anti-harassment.

Handle employee’s concerns or complaints related to workplace issues. HR teams must be prepared to address conflicts, investigate complaints that might arise, and act based on legal requirements.

Ensure that recruitment and hiring processes comply with equal employment opportunity (EEO) laws. HR professionals need to ensure safe and non-discriminatory practices through every step of the hiring process, from job ads to interviewing, and selection.

Employers Resource Managemenより

私は、会社に勤めたことがないので実態はよくわかりません。高校と大学で教師として勤めていた経験しかありません。が、言われていることは当然と思いますが、人材(HR)を大切にするコンプライアンスは大切と思いますが、ときどき杓子定規な気がしたことがあります。

今回あるタレントさんのコンプライアンス違反による芸能活動停止は、対応年は間違いないと思います。よほどのことがあったのでしょう。しかし、その内容がまったく公開されないのは、その職種として立場からすると問題だと思います。プライバシーということからそのような結果になったそうですが、かえってその人を社会的に抹殺することになる可能性があります。

最近、このようなコンプライアンス事例が多々あり、その内容は公表されないとなると、社会のある人たちだけがその真実を知り、それを社会的に共有しないということは、その事例をもとに学び、次のステップに進むことにつながりません。日本社会は、なぜかコンプライアンスのもとに「隠す」ということが当たり前になるのは怖いと考えます。「隠す」よりは「公開」することが、私は大切だと思います。なぜかと言えば、「隠す」ことにより、社会的に二度と復帰できないような社会は、「公平性」や「包括性」や「多様性」、DEIに欠けると考えます。公開されても、それだからと言って、社会的に排除するのは問題と考えます。コンプライアンスの趣旨からもおかしい。「隠す」ことは、公平でも倫理的でもないのです。


夏至です コンプライアンス 公平に



2025年6月20日金曜日

Mass media / マスメディアの役割  2025年6月20日(金)

テレビやラジオがつまらないのです。表面的で規制が多く、また、当たり障りのない話題や無意味(個人的に)な内容が多くニュース以外はほぼ利用しません。以前書いたと思いますが、ソーシャルメディア(social media)が大きく影響力を伸ばしています。が、こちらは個人が気軽に考えを公表できる点がメリットですが、近年、その特性を活かし、意図的に使われ、巧妙になってきて、悪い印象を持つようになりました。必要以外には使いません。

新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどというマスメディア(mass media)は、急速にその意義を失いつつあります。ビジネスとしても成り立たなくなり、ソーシャルメディアやインターネットなどとの連携を進め、メディアは多様化し複雑化し、公平性を失いつつあります。 書籍も内容のないものが多く、図書館で借りる以外、ほぼ買いません。買わない主たる理由は、家に置く場所がないということですが、デジタルで読みます。映画も映画館に行って見るということがほぼありません。個人的にはマスメディアにもソーシャルメディアもあまり積極的には利用しなくなっています。

現在のメディアの問題はあまりにも多くの情報があるということにつきます。デジタルの普及で便利になり、受信も発信も容易になりました。AI翻訳の発達もあり、その量は処理できないくらいあります。携帯一つあれば、情報に関しては困らない時代です。学習にかんしても、記憶蓄積はあまり価値がなくなってきていて、情報操作で意図的に人は誘導されてしまう危険性もありますが、逆に考えると、その方がメディアの利用は正しいかもしれません。個人では対応できないくらいの情報量があるからです。

フィルターバブル(filter bubble) やエコーチェインバー(echo chamber)という用語が飛び交うようになりました。これもよく言われるアルゴリズム(algorithm)という仕組みが関連しているそうです。Echo chambers, filter bubbles, and polarisation: a literature reviewによれば、

Echo chambers, filter bubbles, and the relationship between news and media use and various forms of polarisation has to be understood in the context of increasingly digital, mobile, and platform-dominated media environments where most people spend a limited amount of time with news and many internet users do not regularly actively seek out online news, leading to significant inequalities in news use.

エコー現象やフィルターに囲まれてしまうという偏向現象がソーシャルメディアの検索に組み込まれていて、検索者の好みや関心の方向に誘導し、気づいてみれば、多くの情報が偏った内容になってしまうということです。このようなデジタル社会ではそれが顕著に表れてしまうというわけです。

考えてみれば、マスメディアも同様です。規制や何らかの意図でそのように人を誘導する可能性はあり得ます。関連して、Media Diversityという考えもあります。

The media intend to serve broad populations of listeners, readers, users and audiences. Diversity in media refers to the extent to which the media accurately reflects the variety of cultural, social and political perspectives on issues and opinions of those populations in editorial content. Factual representation and equal treatment of all members of society is particularly important in news and current affair programmes so as to avoid stereotypes, misunderstandings and conflicts, and fairly portray human diversity.

メディアが多様化することによる弊害に関して、より事実と公平性が重要になると述べています。さらに、メディアの多元化 (media pluralism)がメディアの多様性に重要だとしています。

It is, however, difficult for one single media outlet to meet the needs of the full plethora of groups in society. That is the reason why media pluralism, i.e., the coexistence of different types of media, is also important for media diversity. The availability of different types of media ownership facilitates diversity of sources and viewpoints across a range of outlets.

しかし、私はこれだけメディアが複雑化すると、いくら努力しても対応する個人の努力だけでは無理だと思います。というわけでは、私はメディアに距離を置くことにしています。もっとじっくりと大切なことを考えたい。


梅雨明けか 梅雨中なのか 空を見る


2025年6月19日木曜日

A Complete Unknown / 名もなき者  2025年6月19日(木)

飛行機の中で『A Complete Unknown / 名もなき者』を見ました。久しぶりに見たいい映画で、居眠りもせず、早送りもせずに見ました。映画がどうのこうのと言うよりも、Bob Dylanの若き日を再現した物語で、その再現性がとてもよかったので、そのまま見てしまいました。特に映画冒頭のWoody Guthrieとの出会いは印象的で本当かどうかは知りませんが、ギターを抱えてBob Dylanが彼に会いに行く件はとても印象的で、そのままさいごまで見てしまいました。

Bob Dylanは、私の世代よりはちょっと前ですが、日本のフォークソングの走りで、おそらく誰もが知っていた人です。有名な歌(詩)は、Blowin' In The Wind です。反戦ソングなどとして多くの人が歌いました。

How many roads must a man walk down

Before you call him a man?

How many seas must a white dove sail

Before she sleeps in the sand?

Yes, and how many times must the cannon balls fly

Before they're forever banned?

The answer, my friend, is blowin' in the wind

The answer is blowin' in the wind

「答は風の中に吹かれて流れている」という意味で「よくわからない」ということです。この歌詞が彼の生き方を表していることがよくわかります。映画のタイトル、a complete unknownも「まったくわからない」という意味です。

2016年にBob Dylanはノーベル文学賞を取りました。その受賞の説明には次のように書かれています。

Bob Dylan's songs are rooted in the rich tradition of American folk music and are influenced by the poets of modernism and the beatnik movement. Early on, Dylan’s lyrics incorporated social struggles and political protest. Love and religion are other important themes in his songs. His writing is often characterized by refined rhymes and it paints surprising, sometimes surreal imagery. Since his debut in 1962, he has repeatedly reinvented his songs and music. He has also written prose, including his memoirs Chronicles.

確かにBob Dylanという人はよくわからない人で、私の印象も昔の印象しかなったのですが、この映画を見て、なるほどと思いました。

人間というのは一貫性があってないような生き物です。映画の日本語のタイトルが「名もなき者」となっていますが、それだけではなく、「まったくわからない」という意味もあります。まさにthe beatnik movement(自由に生きる)です。説明しようにも説明できないのが人間です。しかし、この映画を見るとBob Dylanが何となくわかります。わからないということがわかります。わからないことを無理やりわかるように(分かったように)語ることは、間違いの始まりです。Bob Dylanの歌で私が好きなのは次の歌です。これも説明のしようもないのです。


青梅や 塩を含んで じっと待つ