The Way It Should Be
阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)は、明恵上人の言葉です。当時の文体で漢字を当て字として書いたそうです。漢字に何か意味があるということではなさそうです。「〜すべき」というのは、いまでは何か上から目線のように響き、あまり好きではない人が多いと思いますが、どうもそれとは違うようです。明恵は自分に対して言っていることで、他人に対して言っていることではなく、社会や自分自身に厳しく、人に対してはやさしい人です。私もそうありたいと思いますが、むずかしいですね。
この日記の柱は、阿留辺畿夜宇和です。8月15日1年間ほぼ毎日書こうと思い立ち始めました。日記は自分自身の思考の流れを辿るautoethnographyです。ざっと見ると、自分自身の思考に一定の傾向を見ることができます。それとともに、毎日何か気になることがあると、ちょっと調べるようになりました。また、話題が偏らないようになどと考えます。当初から決めていたことは、俳句で終わる、YouTubeビデオを添える、英語に関わるようにするなどです。もっとも基本的なルールは推敲しない、ふりかえらないということです。
明恵は『夢記』を綴りました。最近よく夢を見ます。しかし、ほぼおぼえていません。おぼえていなくても、自分の思考が夢の中まで入り込んでいることは意識します。歳をとると、眠りが浅くなり、ぐっすりと眠ることはほぼありません。途中何回か目を覚まします。目を覚まして起きてしまうこともありますが、また寝ます。さらに、夢の続きを見ます。夢は夢なので脈絡がありません。だからおぼえていません。ところどころの場面は記憶しています。最近はかなりスケールが大きいです。例えば今朝方は、戦時中に私はいました。なぜなのか?よくわかりません。夢です。明恵上人とは質が違います。
桜が見た一年 1 year of my Sakura tree
私の地域では、さくらも散りだしました。私は、さくらのすべてのフェーズが好きです。花についてはほぼ1週間くらいですが、その前の蕾の状態、花が咲いた後の葉がどんどんと増えていき、さくらんぼができ、葉が落ち、また、蕾をつけ、冬を耐える、という生育の中で、枝が枯れ、次第に傷んでいき、老いていく姿が、一時期の華やかさがあるために、散歩しながら見ます。他の植物も同様ですが、さくらがやはり中心です。理由は、家の前にあるからです。今年は、人に触れやすい大きな枝が2本花をつけませんでした。枯れたようです。
さくら散る あるべきようわ ありのまま