Understanding school refusal
日本には「教育基本法」があります。小中高については、これが前提となりますが、解釈によっては様々に意味が取れます。世の中はそういうものだと言えばそういうものです。ちょっと確認しておきましょう。
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(学校教育)
第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。
主語は「我々日本国民」で、対象も「日本国民」でしょう。しかし、日本国民ではない人も、日本の公立の学校で学ぶことを特に制限していません。しかし、文面から受ける印象は、目標においては、「態度を養う」という表現が特徴的です。また、それを受けて、学校は「〜行わなければならない」という場になっています。
時代が変わったということで終わらせてはいけないと思いますが、この法律にある文言が、「学校は行かなければいけない」というステレオタイプを作り、学校に行かないことは、日本国民からは「落ちこぼれ」として、ネガティブに位置づけされるのかもしれません。
私自身も、高校教師の頃は、高校は義務教育でないにもかかわらず、学校に来ない生徒には学校に来ることが大事だと言っていました。知らず知らずのうちに組織の中の教師となっていたと思います。
大学で教職課程に携わるようになり、いろいろな国の教育事情を見ることができるようになり、少しずつ問題の根が深いことが分かってきました。世間、閉鎖的な社会、差別、学歴、組織、貧困など、背景は複雑です。
世界的に見ると、「不登校」の背景は多様です。日本だけではなく、多くの国で同様の問題が顕在化しています。
250 million children out-of-school: What you need to know about UNESCO’s latest education data
この記事は、学校に行けない子どものデータです。この状況と日本で「不登校」とされる状況はいっしょにはできませんが、学習が保障されない点では同じかもしれません。
私は、「不登校」を問題とは考えないことが大切だと思います。学びを保障することが重要で、「学校に来る来ない」に関して決まりや思い込みを持たないようにすることが求められると思います。教師にも学校や授業の規則を押し付けることなく、ある程度裁量を柔軟にすることが、そのような学習の自由を補償することにつながります。
学校の役割の基本は、社会生活を営む上で必要な知識や技能を培う場です。また、それぞれの人の未来を支援する場で、それぞれの人を規制する場ではありません。来ることも来ないことも自由です。学校に来ないことがネガティブということではないので、問題とはしないことが大切だと思います。
不登校 学びは自由 韮の花
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