今日は1が3つ並ぶ日、1月11日です。1(いち)という数字は、始まりを表します。また、2025年も始まって11日目です。それほど大きな出来事もなく比較的平和に過ごす年始となりました。ここで少しふりかえってみましょう。
What is Kokoro?
私自身の研究の一つのテーマは「こころ」です。こころの持ち様とよく言います。ある一つの現象もこころのあり方でまったく違った受け取り方になります。人間はロボットではなく、「生きて」います。「生きて」いるという意味は常に動いているということにつながります。一瞬で変わっているわけです。Heideggerは、『存在と時間(Being and Time)』の中で、存在について考えました。「ある」とは何か?ということと、そこにある時間の問題を思考しました。私にはいまだによくわかりません。が、やはり認識論的な把握の仕方をしてしまいます。私がいて、私が「ある」、あるいは、私がどう「ある」かを、こころの問題として考えてしまいます。
それは間違いと言われれば間違いなのでしょう。が、私のこころが納得しません。私は生きている限り、自分自身のこころの安定のために思考したいと思います。それは私の阿留辺畿夜宇和です。この日記は、その活動の一環です。それが私の現存在です。
私のこころはずっと動いています。昨日と今日では違います。ちょっとしたこと気にかけます。すぐに忘れます。一つ信条的なことを言うと、できる限り拘らない、執着しないように努力します。逆に言うと、けっこうこだわることが多いので、そうならないないようにしようと考えます。しかし、それにも拘らないように自然に生きたいと思います。
Wellbeingという言葉が英語にあります。あちらこちらでよく使われるようになり、日本語に訳すことがほぼ不可能です。「よくある」というしかないでしょう。「よくある」ためには、「よくある」こころが不可欠です。しかし、「よくある」こころの基準はありません。あるとしたら自分のこころが決めます。決められない人は「よくある」とはなりません。私は、wellbeingをこころがけます。
私は、テレビをつけて聞き流しています。ニュースやワイドショーは情報源として好きです。なんか変だなと思います。私のこころはいつもすっきりしません。特に報道はすっきりしません。大本営発表のような紋切り型の報道が多いです。さまざまな規制があるので仕方がないのかもしれませんが、おかしいです。最たる例は兵庫県の知事選関連です。さらには、芸能界の人のスキャンダル関連の規制の報道や、容疑者の名前や画像の匿名性の基準、世界で起きている紛争の中途半端な報道内容、中身のない芸能人の食事や旅やクイズなど。テレビを見ない人が多くなったので仕方がないのかもしれません。受信料を徴収している公共放送も視聴率を意識したような番組構成は、納得できません。もちろん内容のある番組もありますが。しばらくしたらおそらくテレビも見なくなるでしょう。
こころの時代 〜NHK・Eテレ「こころの時代」テーマ曲〜 Wong WingTsan + Aska Strings [official]
「こころの時代」という番組が好きです。もっとやっていただきたいと思います。ときどきつまらないものもありますが、それでも価値があると思います。「こころ」は英語で表現することはできない総体です。海外で発表する際には、私は、kokoroとして定義して使います。10年ほど前に出版した本でそのことは述べています。
英語教師のこころを探求しました。現在の若い人の教師離れを暗示するような内容です。英語教師のこころが、私はとても重要だと当時思いました。日本の英語教師は、必ずしも英語を教える専門家ではなく、まず教師としてのあり様が求められます。現在もおそらくそうです。
1(いち)が三つ並ぶ日に、初心に立ち帰り、こころについて考えていきたいと思います。常に一から始める、日々是好日(ひびこれこうじつ)。
初夢に こころは何処 空にある
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