フジテレビ…今後の対応は? 第三者委員会設置…スポンサー離れは
最近、何か問題があると「第三者委員会」を立ち上げて調査するということが増えています。私は、この「第三者委員会」というのがよくわからないでいました。おそらく、当事者ではない人に任せて客観的に判断してもらうことが適切だと考えていますが、本当にそれが適切ないつも疑問に思います。
というのは、何のために調査するのかということです。私は問題が当事者にあるとしたら、当事者が、何が問題かを考えることが最も大切だと思うからです。当事者が理解し改善しない限り、問題を改善できないのではないか?
日本弁護士連合会が「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010)を策定していて、それが基本になっているようです。教育における問題は文部科学省がガイドラインを出しています。その他でも、各問題についてそれぞれ「第三者委員会」があちらこちらで設置されています。が、基本的には、弁護士がかかわり法的な観点から問題を調査しているようです。
国際的には、「第三者委員会」という言い方が定まっているのかどうかを確認してみましたが、そうでもないようです。the third party panel (proble, committe)、 the independent committeeなど英語表現では特に定まっていないようです。ということは、このような調査のあり方が必ずしも「第三者委員会」でなければならないというのは、実に日本的な暗黙の了解になっているように思います。
日弁連の「第三者委員会ガイドライン」によれば、目的は次のようになっています。
第三者委員会は、すべてのステークホルダーのために調査を実施し、その結果をステークホルダーに公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とする。
ステークホルダーは、利害関係者です。つまり、「第三者委員会」はあくまで当事者に調査結果を報告し、その解決は当事者に委ねるということです。
もし、このプロセスが他のどの「第三者委員会」にも当てはまるとすれば、結局自助努力が必要だということで、最終的判断は当事者です。
客観的な判断を「第三者委員会」から提案してもらうことは大切ですが、当事者がまず問題を明らかにして改善を考えることは当然しなければいけないはずです。その改善が「第三者委員会」の評価とほぼ同じ方向性を持つことが、改善の適切性や信頼性を担保することになります。
現状の社会を眺めると、何でも問題があると「第三者委員会」に委ねるような風潮があり、当事者は責任を放棄するような傾向が見えます。このような流れはとても危険な気がします。組織の中で起きた問題を処理する場合、利害関係者が自覚し、課題を認識し、それを改善する方策を考え、実践する必要があります。外で決めたことを出発点としては、結局他人事になる可能性があり、ただ形を変えただけの体裁となる可能性が高いのではないでしょうか?
教育の現場では、いじめが大きな問題で、文部科学省はガイドラインを出しています。
その中でも「第三者委員会」に触れています。が、全体を読むと、「第三者委員会」には当事者は排除されてはいません。目的は、いじめの解消・解決にあり、いじめの対象となった生徒を第一に考えているからです。ただし、いじめの構造がかなり複雑で、実際に携わる関係者は、このガイドラインどおりに刷れば適切に解決できるとは考えないでしょう。おそらく、当事者あるいは自分事としてていねいに対応しないと相当にむずかしいと思います。
こうして考えると、単に「第三者委員会」を設置するということでは何も解決しないことがよくわかります。やはり当事者が解決しなければいけないことが多く、ことの本質を見て、問題解決にていねいにかかわる必要があると思います。今回のフジテレビの問題は、よくわからない点が多いですが、誰かを攻撃することで解決することではないと思います。背景にある問題は、やはり、ソーシャルメディアの影響と考えます。
How Social Media is Destroying Society
鍋がいい 白菜がうまい あったかい日
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