2025年1月6日月曜日

夏目漱石 夢十夜 こんな夢を見た 2025年1月6日(月)

夏目漱石は誰もが知る有名な日本の作家です。私は『ごゝろ』という作品が気に入っています。それほど好きではありませんが、『夢十夜』という作品があります。10の夢が綴られています。「こんな夢を見た」で始まる取り止めもない話で、夢としてはどれもよくできていて、実際漱石が見た夢ではありませんが、夢という素材で、人間の深層心理のようなことを扱っていて、いろいろな人がさまざまに批評しています。

第一夜は次のように始まる話です。

「こんな夢を見た。

腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔やわらかな瓜実顔がおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分も確たしかにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開あけた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。」

話は、この女が死ぬ前に「百年待っていてください」と言ったので、待っていて、さいごに、「「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。」で終わっています。

夏目漱石は有名なので、多くの人がこれについて分析しています。私もある作品について分析的に書いたことがありますが、ここではやめておきます。ただ『夢十夜』はときどきふと思い出して読みます。

明恵上人も夢を記録しています。しかし、夢の事実をそのまま記録しているわけではありません。夢の分析は、フロイトやユングが有名です。私は、ユングが好きで昔よく読みました。夢の解釈は治療にはおそらく有効だと思います。また、自分で夢を解釈することもおもしろいです。が、夢は、おそらくきちんとした話にはなりません。その点から『夢十夜』の一つひとつの話を読むと、漱石の心的状態を分析したり、主題は何かなどと考えることよりは、「こんな夢を見た」で始まることにより、ストーリーの展開が自由になるということが特徴となっていることに気づきます。「これは夢の世界だ」として読むとどの話も展開は自由になり、創作しやすくなります。

夏目漱石は、文学を探究しようとした人で、一つひとつ作品も文章が的確で、プロットもよくできています。だからこそいつまでも愛されているのだと思います。ただ単に自分自身の文学を追求したというよりは、読者のことを考え工夫して、読みやすく、多くの人に共感されるような話をしています。講演もそうであり、実に多くの批評や研究があります。私の恩師の大村喜吉先生もそうでした。英語教師としての夏目漱石を研究していました。先生の話で夏目漱石に興味を持ちました。『夢十夜』は同僚の国語の先生の話を聞いて興味を持ちました。『夢十夜』は簡潔で国語の授業で取り上げるには適切なのでしょう。しかし、私は、作品を分析するのはやめてほしいと思います。分析しなくても、良さはわかる人にはわかります。わからない人にはわからないのです。

私は、第六夜の運慶の話が好きです。


初雪に 漱石何処 夢を見る 



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