How is University Entrance Examination in Japan?
大学共通テスト(the National Centre for University Entrance Examinations: NCUEE) が今週末にあります。大学に勤めていたときは、嫌な時期でした。テスト監督で12時間拘束されます。手当は微々たるもので、基本ボランティアです。試験実施のために何回か会議があり、実施されます。受験者もたいへんですが、試験にかかわる人もたいへんです。退職してから携わることがなくなり幸せです。
細かいことは問題になるかもしれないのでやめて、本題に行きます。結論は、「テスト自体はよい」と思います。多くの国で大学に進むための基礎学力のテストは実施しています。必要です。大胆なことを言えば、試験はそれだけでよいと思います。高校と大学の教職員で運営実施すれば済むことです。その代わり、他の試験は行わないとすべきです。予備校も廃止し、高校教育で指導することを基本とします。
大学や高等教育機関は、その基礎学力をもとに、必要に応じて独自の選考をすべきと思います。代替案は下記の通りです。
- 試験のための学習ビジネスをやめ、学習指導要領が示す目標を目指す
- 高校では、知識のための試験ではなく、学習活動で評価する
- 高校の実績を大学でのコース選択で評価する
- 高校では、大学で学ぶための学習力(知識などの学力ではなく)をつける
- 高校や大学での受験のための勉強を廃止する
- 大学は名前で選ぶのではなく、何を学ぶかで決め、そのコースごとの講義などは、どの授業もオンラインなど受けられるようにする
- 大学名を排除し、単位の認定だけとし、偏差値教育を解消する
- 授業料は、基本のコースごとに一律とする
- 大学の専門分野に限り、2年次で選抜する
大学共通テストは良問を作成していますが、その労力は必ずしもよい結果をもたらしていません。また、大学教員の労力も軽減していません。高校の教育にもよい影響をもたらしているとは言えません。私は英語教育が専門なので、一言言うと、結局、読む力と聞く力を測定しています。それも効率の良さだけを追求しています。判断が遅い人は点数が低くなります。それが学習力かと言うとそうとは言い切れません。
英語力も国語力も言語力です。言語力は、読む力や聞く力だけでは不完全です。まして、国語にはリスニングはありません。双方とも、話す力や書く力は大学共通テストでは測定していません。言語力を測定するには、内容理解や思考力と併せて測定することが妥当です。それは学習力につながります。大学共通テストでは測定していない言語力は各大学の学習コースで測定し、意欲や適性も判断する必要があります。しかし、それは、いわゆる学歴とは結びつかないように工夫する。
私の考え方はドラスティックに聞こえるかもしれませんが、同じように考える人は多いと思います。昔から同様のことは多くの人が言っています。しかし、いつも反論されて、変わりません。「非現実的だ」「どうやってやるのか」「現状では無理だ」など、批判されます。結局、現状で利益を得ている人がいるのです。文部科学省も大学も高校も企業も現状でいいのです。現状のことを毎年続けている方が面倒なことはしなくて済むからでしょう。
ちなみに、フィンランドの大学入学システムのビデオを紹介しておきましょう。フィンランドは、大学や高校のランクづけはほぼなく、大学入試の一部に共通テストを使い、後は各大学で選考します。競争はもちろんありますが、日本とは異なる方法です。フィンランドは大学も無料なので、一度働いた後にも、いつでも学習はできます。
Finnish Education System: Your Roadmap from High School to University - Virtual Education Summit
考えてみると、明治以来このような学歴社会はそれほど変わっていないかもしれません。その学歴社会を勝ち抜いた人が世間では成功し力を持っているので、そのようなシステムは壊したくないのでしょう。しかし、現実を見れば、国際的にはそのような価値観は崩れつつあります。日本の東大をただ卒業しただけでは国際的にはなんの価値もありません。好きなことを続けられることが大切です。好きなことを続けるためには努力しなければいけません。無意味なことは続けても意味がないと、私は思います。
大学共通テストがこれからありますが、関わる人はぜひ惰性に流されず大局的に考えてほしいです。テスト作成のすばらしい能力を違った方向で生かしていただきたいです。大学や高校や予備校の先生も、その能力を違う方向で使って欲しいです。退職して、私はそう思います。
1月だ 受験ですよ 嫌ですね
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