共通テスト2週間前に予備校の「ニチガク」が突然破産
予備校は英語にはない表現で、東アジアに特徴的な形態の教育かもしれません。予備校が破産したというニュースが先日ありました。また、成人式の晴れ着を供給している会社が倒産し大きなニュースになったことがありました。それと同じように、この時期の予備校の倒産は衝撃的なニュースです。しかし、何か変だなと思うのは私だけでしょうか?そのことについて書きます。
以前にも書いたと記憶していますが、大学で仕事していたので、そんなこと言ってもいいのかと言われそうですが、あえて言うと、大学に行くならどこでもいいのではないかと思います。もちろん資格を取る学科は別ですが、そうでなければ、つまり、大学の名前とかで選ぶ必要はない、というのが自論です。たぶん、自分があまり有名な学校、有名な大学を出ているわけではない僻みかもしれません。が、受験勉強などのために時間を費やすのは愚の骨頂だと思っています。
私自身は、受験の中を生きた世代なので、嫌でたまりませんでした。大学に行きたいというのも惰性だったと思います。何がしたいということがあまり明確ではなく、行ける大学に行ったということです。教員も楽そうだからという理由でした。それと、何か勉強をつづけられそうだと思ったからです。その後は、スコットランドで博士課程を経験しましたが、研究するということが面白いと思ったので、お金を使ってもやろうと思いました。学ぶということはそういうことだとわかりました。
いい学校に行くため、いい大学に行くために勉強するのは、悪いことではありません。目標が明確であることは大切です。しかし、いい大学へ行って何をするのか?が、課題です。また、何か学びたくなったら、いつでも学べる、という仕組みが大切です。年齢は関係ないでしょう。いつの間にか、同じレールに乗り、レールから外れると落伍者のようにされ、人生のレールからも外れるのはおかしいです。
不登校が社会的な問題となっています。その受け皿とする教育システムがビジネスになります。予備校や塾も、明治の「大学予備門」や江戸時代の寺子屋や塾などから発展したと考えられるシステムだと思いますが、ビジネスです。負担するのは各家庭で、教育費として相当な負担となっています。よく考えると、これはおかしなシステムです。本来は、公教育が手当すべき学習だと思います。小学校~それは小さな社会~という映画が注目されています。いい教育でしょう。しかし、その陰で塾文化があります。中学受験があります。スポーツもお金がなくては継続できません。余裕がない家庭は弾き出されます。不登校の背景は複雑です。が、根本的には、公教育が学びをサポートするのが本筋です。
予備校はビジネスですから当然破産することはあります。それに対して生徒や職員を支援する動きがあります。いいことですが、これも、おかしな話です。報道によると100万円単位の学費が支払われているそうです。予備校や塾は全国各地にあります。閉鎖されることは、あってもおかしくない現象です。教育産業はたくさんあります。破産などの被害の事例は他にはないのでしょうか?
教育はビジネスですが、インフラとなる教育は、公でなんとかしてほしいと、私は思います。余裕のある人は教育に投資することはかまいませんが、余裕のない人でもきちんと教育を受けたい人には優しい社会を目指すのが本道と思います。学校に行くことは目的でありません。学ぶことが目的です。仕事は大切ですが、仕事が人生ではなく、生活が大切です。学ぶ機会は基本的人権の一つだと考えます。
なぜ勉強するのか? - 私の個人的な動機 (一生懸命働く理由!)
雑煮食べ 参考書読む 記憶かな
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