昨日オーストラリアから帰国しました。その関係で今回の投稿は2日分です。飛行機は中国北京経由でメルボルンです。渡航には乗り継ぎも含めて時間がかかり、ちょっと疲れましたが、旅行者の様子や、訪れる街や人の様子を見ることは、とても多くのことを学びます。
Airline Carry-On Rules for 2025: Don’t Get Caught - Your Carry-On Will Be REJECTED
最近ではインターネットの普及により、家にいても多くの情報が得られます。しかし、やはりある一面だけが切り取られたり、ある意図が入ります。自分の視点で何の先入観もなく、その場の多様な状況といっしょに総合的に見る、聞く、触る、感じる、というのは違います。時間をかけて、労力をかけて、足を運ぶ、その際には目的を持っている場合もあれば、偶然という場合もあります。
日本は情報を透明化して何でも際限なく入って来るという印象を持っている国というように理解している人もいますが、そんなことはありません。社会の組織構造、法律などの決まり、文化的伝統的な慣習、美的嗜好、行動規範、人的関係など、他の国とは微妙に違い、日本的にある意図を持って選択され加工されています。それはもちろん日本だけではありませんが、マスメディアやソーシャルメディアでも、ある意図や視点で提供されています。
初めて訪れたタスマニアでは、経済的なことは詳しくわかりませんが、観光客も多く、カフェやレストランでは楽しそうな雰囲気がありました。たぶん、私自身がそうだからでしょう。年配の人が多く、どこものんびりとした印象です。Mt Wellingtonの周囲のハイキングコースを散歩に行くと、家族連れや地元の人でしょうか、自然を楽しむために歩いていました。山頂まで3時間くらいですが、そこまで歩いて行く人もいます。私は滝を見て帰りましたが、歩きやすい山道でした。観光クルーズ船にも乗りましたが、かなりスピードを出し、船長も楽しんでいました。タスマニアデビルを見る予定でしたが、動物園などにいないので、今回は見れなかったのは残念です。
メルボルンでは、仕事もありましたが、合間に街や人を眺めていました。人の多さに驚きました。店も多彩です。日本と似て、トイレもきれいでどこにでもあり、チップも特に気にする必要がなく、携帯から注文もでき決済もできる店もありません。キャッシュはほぼ必要ない便利な街です。逆にホームレスは以前よりも増えている気がします。さらには、アジア系の人たちが目立つようになってきていました。デモはいつものようにあり、事件も多く、救急車や警察の車も頻繁です。印象としては活気があり、新しい施設も建設中で、街の様子は変わりつつあります。
さて、そのメルボルンから日本を見ると、日本は本当に目立たない国になっていることにあらためて気づきます。日本に由来のある人はたくさん住んでいますが、メルボルンで中国や韓国やアジアの他の国々の店や人や文化が目立つのに比較して、日本は目立っていません。日本人が固まって行動することがないからでしょう。個人的に生活の中に入っているか、旅行でも個人で行動しているケースが多く、日本語が目立たない。文化的なことはかなり日常に入っているようですが、当たり前のようになっているような気がしました。
「日本人は英語ができない」というのはもう過去のことのように思いますが、昔から変わらないのは、modestということでしょう。でしゃばらないのです。経済は沈滞してきて、威張っている時代ではないのですが、確実に日本企業浸透しています。ユニクロなどの店も定着しています。芸術関係でも静かに多くの人が活躍するようになっています。しかし、現在の日本はそのようなことも取り上げることはないようです。落ち着いてきたと言えば、落ち着いたのではないでしょうか。
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一つ気になるのは、大学で学ぶ日本人が少ないことです。ある大学の新入生のオリエンテーションに出会いました。何人かいるのは間違いありませんが、他のアジアの国々の学生からするとほとんで目立ちません。落ち着き過ぎて、日本から出ていかないのか、それともお金がないのか、それほど海外で勉強する気がないのか、実態はわかりません。「陽が沈む」国になりつつあるのかもしれません。メルボルンでそんなことを思いました。
陽が沈む 日の本の国 春夕焼
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