毎日とは言ってもむずかしいです。書けない日もあります。無理はしないのが、私のポリシーです。以前は 13日の金曜日というと不吉な日と騒がれましたが、いまは誰もそんなことを言わなくなりました。世の中はおもしろいです。
【最新版】全国進学校ランキング TOP40
このような情報がたくさんあります。いい加減にやめましょう。さて、次に提案したいことは、「学校間の競争ではなく協調により学びを充実する」ということです。これは、学校がビジネスになりつつあり、進学実績、設備、内容などを広報することで、保護者や生徒に、ブランド意識を受け付ける一因となっていて、教育としては決してよいことではありません。授業料が高額なインターナショナルスクール、バイリンガルスクール、IBカリキュラム、スポーツ、芸術など、内容的には確かに充実していて、生徒にとってはメリットのある学習が提供されています。裕福な人がよい教育を受けるということが、あからさまになり、このこともいつの間にか誰も何も言わなくなりした。教育は、持たざる人に手を差し伸べることが以前は当たり前の考え方でしたが、いまは時代が変わりました。
教育の機会均等はカタチだけのものになり、とにかく学校という場を与え、それを享受しない人には学びの機会は与えないという社会になりつつあります。学校は単なる「在籍する」場となり、「学びを支援する」場ではなくなりつつあります。私学は、生徒募集のために、学校のイメージを上げるために努力し、現状では成果を上げています。逆に、公立学校などで予算もなく、学校独自で工夫を重ねることができにくいシステムになっている場合対応ができません。私学と同じような経営をすることは、公立校でむずかしいし、それはあまり望ましいことではありません。
昔から、公立でも私立でも進学実績という成果は、中学や高校において重要な目標でありわかりやすい成果です。どこの高校や大学に何人合格したかは、新入生の募集に大きな影響を与えます。管理職にとっては自分の力量にも関係するので、その目標達成には強い関心を持ちます。私学も同様です。実績が出せなければその職を辞することにつながります。逆に実績を出せば新しいポジションが待っています。
しかし、実績の出せない学校は悲惨です。多くの生徒が学ぶことに意欲を見出すのは困難で、ただ卒業という資格のために学校に在籍するという悪循環が続きます。このような悪循環は何十年も続いています。背景には、学校のブランド、序列化などの格差が根強くあります。以前は職業高校は一つのブランドでしたが、ごく一部を除いて失われています。
このような傾向は自然にできてしまいますが、フィンランドなどにはありません。入学することにあまりにも力を注ぎ、卒業ということよりも、その次の入学試験を目標にさらに邁進するという悪循環もずっと続いています。このようなブランドのために学びの目標があるので、学校間で競争が起こります。単純ですが、「協調する」ことが一番の得策だと考えています。
LEARN about EQUALITY VS EQUITY FOR KIDS- EQUALITY FOR KIDS WHAT IS EQUITY
均等(equality)と公平(equity)はよく言われることです。この点をちょっと考えることが大切です。学び自体は多様化しています。それにもかかわらず、日本の学校のカリキュラムは大きく変化していません。原因の一つは、学習指導要領です。10年スパンで細かいこと決めています。時代には取り残されていると言いきれます。DXなどが騒がれていますが、それを学習のプラットフォームにすることよりも、中学や高校段階でより実践的な学習内容にすることが大切です。それだけではなく、情報、プログラミング、STEM, STEAM、科学技術、芸術、工芸、スポーツ、文化など、今の時代には合う内容に柔軟に対応できるカリキュラにする必要があります。にもかかわらず、10年単位で上意下達で決めて、その決めたことに従い、教師はコマのように働くという図式は変わりません。
解決の方法の一つは、教師にあります。教師は魅力ある職業です。もっと学びに専心できるようにして、カリキュラムの意思決定も柔軟にして、教師が主体的に取り組めるようなカリキュラムとし、学校間の競争ではなく協調を重視することです。背景的には、カリスマ教師を育成するのでなく、必要に応じてオンラインで授業をつなぎ、生徒が自由にその授業を受けることができることで、学校間格差を解消し、各学校の教師は学びの支援に徹することです。出席時数とか形式的なことには拘らず、教師は一人ひとりの生徒の学習状況を支援し、学びたいことを優先し、アカハラやモラハラのようなことはやめることです。
Why rules are important?
しつけのようなことは学校の役割ではありません。が、ルールは必要です。学校は一つの社会ですから、その社会に合わない行動はもちろん罰せられる必要があります。学校によってそのルールが違うことにも問題があります。余分なことをせずに、学びを支援し、学びの協調を教育全体で共有するということが、私の趣旨です。協調することにより、均等(equality)と公平(equity)がうまく配分できると考えます。
ジメジメと ムッとする日は 紫陽花を
0 件のコメント:
コメントを投稿