2024年9月4日水曜日

こころのゆとり 2024年9月4日(水)

生活のゆとりって何かなと、ときどき考えます。小さい頃は貧しいかったですが、記憶に残っている子供時代は、暮らしにゆとりはなかったかもしれませんが、こころにはゆとりがあったように思えてなりません。幼稚園もいかず、小学校もサボり気味で、勉強したという記憶はありません。勉強ができた記憶もありません。漫画や本はよく読んでいたと思います。記憶に残る嫌な経験は、九九を覚えて言うという活動を子ども同士で確認する活動や、左利きの私に、右手で漢字の書き取りをさせられたことです。何でそんなことをしなければいけないのか疑問があったのでしょう。

それくらいで、後は学校は嫌いだったし、こころは自由にフラフラとしていたように思います。私にとっては、それはとてもよかったと今になって考えます。

ゆとりはありすぎるのもよくないし、なさすぎるのもよくないです。適当がいいですが、適当というのはまたむずかしい。あいまいな言葉です。私は、いつもあいまいな言い方をするので批判されます。が、物事をきっちりとするのはむずかしいと思います。何事にも柔軟な対応することが現実的で、白黒をはっきりするのは苦手です。

私は争い事は嫌いで、自分自身が憤りを感じることは多々ありますが、先を考えて面倒だなと思うと、その場を去ります。逃げるのかもしれませんが、つまらないから、それ以上に面倒なことをせず、回避します。そして、違うことにその労力を割きます。

自分が心地よい生活をまず優先します。これはおかしいでしょうか?私はまず自分の生活とこころのゆとりを大切にしたいのです。

三日月を 眺めて涼し ゆとりかな




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