ふつうの授業をすることについて、もう一言。英語の教師には、学習指導案を作る作業が必須とされます。目標があって評価がある。その展開を予定通り進めるために、教材や教具を用意し、活動を考える、すべての活動にめあてを設定し、それを評価し、次の活動につなげる、というような計画と実施をもとに、より効果的に授業を展開するということです。大学の教科教育では、そのようなトレーニングをします。教育実習でもそのようにすることが理想的には求められます。私の時代はそうでした。
横浜5 Round System 〜1年に教科書を5回くり返す中学校英語授業〜
この授業は英語教師にはよく知られているとてもよい実践です。私も生徒が活発に活動している様子を見ました。これはデモなので型通りにやっていますが、実際は少し違い、それぞれの先生の工夫があります。しかし、よく計画された授業です。
英語の授業は、英語であいさつ、やりとりで始まり、復習とその理解の確認、その活動をもとに新しい内容(語彙、文法、発音や教科書理解など)へと英語で誘い、それをもとに言語活動を実施し、ふりかえりを図り、次の授業へとつなげる、という典型的な英語授業の指導を、多くの場合します。「英語の授業は英語でするものとする」というような学習指導要領の趣旨が前提としてあります。しかし、現状はさまざまです。
日本の場合は、中高の場合は生徒数が40名が標準ですが、少人数化は少しずつ導入され、30名程度になりつつあります。しかし、それでも多く、効率よく指導することが求められます。また、一時期よりは、すべての生徒に同様の指導が一律に求められ、学年全体が統一の評価のもとに相対的に行われることが基本のようになっています。そうでないと不公平ということになってしまいます。中学校の場合は、内申書が重視される傾向があり、高校進学を重視する場合は、それはたいへんです。
他の国を見た場合はどうでしょうか?東アジアは日本と同様な対応が強いですが、欧米ではあまり感じたことがありません。英語の場合は、使えることが優先されます。大学進学のための統一テストはありますが、内容も知識重視はではなく、技能重視です。使えなければ大学で授業が受けられないからです。英語圏の場合は、外国語は受験とはあまり関係がなく、その進路による傾向があります。国によってもちろん違いがありますが、総じて、ただ大学に行くということではなく、目的によって進む進路の違います。私が感じる限りでは、大学の名前で選ぶということはあまり大きな動機とはなっていないように思います。
Why Finland’s Education System is a Global Game-Changer?
ということで、ふつうの英語授業というのは、学習指導要領でも述べている通り、「英語でコミュニケーションができるようにすること」です。学習指導要領には細かく書いてありますが、それは指針なので、それに一々従う必要はありません。教師がしっかりと考えて、生徒に適した指導をすることです。発音も語彙も文法も、4技能の活動も、すべて必要です。しかし、それらを完璧に授業でする必要はありません。一人一人ひとりがそれをもとに自分で自律的に学ぶことを支援することが大切です。
たった1回の授業の指導案を綿密に作って計画に沿って授業を展開するよりも、その都度生徒が疑問に思ったこと中心に支援すること、目標は目標であり柔軟に対応すること、一人ひとりはすべて違うので、その点を尊重し、教師の役割はそれを支援することなどに留意し、生徒の成果は生徒が努力したことであって教師が自慢することではないのです。ただ日々ふつうに指導することを心がけるということが大切です。そのために、自分に知識や技能はもっともっと深める必要があると思います。
Learning to Teach in Practice: Finland's Teacher Training Schools
これはフィンランド(ヘルシンキ大学)の教師教育の様子です。何度か訪問して調査した私の印象とほぼいっしょです。私にとっての「ふつう」とはこのようなことです。「何もしない」という意味ではありません。教師がしっかりとした考えを持って指導できる環境を大事にすることです。文部科学省、教育委員会、校長など上からああしろこうしろというのは、ほぼ意味がないと思っています。
私は、そのように考えて教師を続けています。この日誌もそうです。
10月も そろそろ終わり もの思う
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