2024年11月11日月曜日

岩清水八幡宮と塩田千春  2024年11月11日(月)

 『源氏物語』22帖「玉鬘」に次のように書かれています。

九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。

豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。

住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、「何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」と語らひ慰め、

「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」

とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。

ということで、岩清水八幡宮に行きました。ウェブにはその由来について次のように説明されています。

平安時代初め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。“やわたのはちまんさん”と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。

宮のある森には確かに歴史を感じる雰囲気がありました。ちょうど七五三の子どもたちがたくさんいました。それとともに、こころは京都と大阪を見渡す要衝として重要な地勢にあるところで歴史を感じました。宇佐神宮(大分県宇佐市)が八幡宮の総本宮で、石清水八幡宮は、筥崎宮(福岡県福岡市)、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに重要な宮とされています。明治神宮などはまだ新しいわけです。

その前に、塩田千春氏の「つながる私」の展示を見ました。たまたまですが、展示を見ていて、源氏物語をちょっと思い出しました。展示の白い糸、黒い糸、赤い糸を見ていると、源氏物語における源氏をめぐる女性や男性のつながりの複雑な様相を思いました。玉鬘は夕顔と頭中将の娘ですが、源氏はその玉鬘を夕顔との縁から娘として面倒を見ますが、髭黒大将と略奪結婚となったりします。源氏物語に登場する女性の関係性と塩田千春氏の作品は何となくつながっているような印象を得ました。


つながりは 人と人とに 秋と風





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