昨日は、私の誕生日でした。それを機にこのブログ日記のタイトルを変えました。Lived Experienceは「生きられた経験」と日本語に訳されて定着していますが、どうしても「生きられた」が私の語感からするとしっくりこないので、「生きた」としてあります。「生きた日記」としたのは、そろそろ死を考えなければいけない年齢なので、いつ死んでもいいようにここに記述しています。特に誰かに読んでもらいたいとか、何かを主張するものではありません。批判されても褒められても特に反応はしません。私のふりかえり(reflection)です。
Van Eyck's Arnolfini Portrait | National Gallery
名前を出したのは、「私はここに生きた」ということだけは主張したいからです。オランダの画家で、ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)は、「アルノルフィーニ夫妻の肖像」という絵に「ヤン・ファン・エイクここにありき 1434」(Johannes de Eyck fuit hic 1434)と書いています。ロンドンのNational Galleryに行って何度か見て確認しました。何か自分の姿を記録に残しておきたいという気持ちはよくわかります。私もそうしたいと思いました。
明恵上人は記録を残しました。さらに、華厳宗の僧侶として釈迦の教えに忠実に生きようとしています。自分の信じている道を生き、高山寺を開きました。独自の生き方を貫いた人ですが、当時多くの僧侶が宗派を起こしたようにはしませんでした。私はその生き方が好きです。高山寺で、「樹上坐禅図の場所はどのあたりですか?」と尋ねると、「山の中で行くのは無理です」と答えられました。愚問でしたが、明恵上人は山全体を残したんだと思います。
というわけで、微々たる人間ですが、「生きた証」をあちらこちらで残せればという、ちょっとした煩悩が起こったわけです。
とにかく、私の修行だと思い、いつまで続くかわかりませんが、日記を勝手に思うままに記述します。
70歳 古希と言われて 冬支度
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