2025年2月13日木曜日

National foundation day / 建国記念の日 2025年2月13日(木)

2月11日は、建国記念の日で祝日でした。私は退職ぼけで休日とか祝祭日とは関係のない生活をしています。考えてみれば大学の際もそうでした。授業日確保であまり気にしていなかったようですが、キリスト教系の大学だったのでそちらの行事はきちんとやっていたようです。関係ありませんが、牧師の説教はどれもとてもよかったと記憶しています。が、実はどうなのかという疑問はいつもありました。

建国記念日ではなく「建国記念の日」となっているのは、戦前の「紀元節」を復活させることを想起するので、「の」を入れたそうです。つまり、「建国記念日と想定されるが事実はわからない日」ということです。確かに、日本は神武天皇から始まったとされていますが、神話の話で事実とは確定できません。大日本帝国憲法が発布した日が、1889年2月11日ですが、それにちなんでその日を設定するのもイデオロギーのために良しとされず、妥協の産物として「建国記念の日」が2月11日となったそうです。

昔高校の教員の頃、盛んにこの「建国記念の日」にこだわる先生がいました。その時はよくわかりませんでしたが、その先生の気持ちもわかります。が、私にとってはどうでもいいことでした(す)。英語では、たぶん、Japanese mythic founding dayなどとするのが適切なのかと思います。戦争はあったにしろ、天皇制を維持している日本は、その歴史の長さを誇るのは悪いことではないと思います。イディオロギーは紛争のもとですので、私は好きではないのです。

イディオロギーと簡単に言ってしまいましたが、かなりむずかしい用語です。国や団体や個人が政治的社会的経済的文化的宗教的などで対立することは、最近頻繁になってきました。それだけ自由な社会になったからで、いいことだと思いますが、それぞれが勝手になんでも主張することは、結局対立を生み、自由はなくなっていきます。

他の国でも同じだと思いますが、多くは平和を求めています。が、「平和のために戦う」というアポリア(aporia)です。戦いには錦の旗、大義名分が必要です。イディオロギーでどうにでも理屈がつけられます。紛争で傷つくのは紛争を積極的にする人ではなく結局多くの関係のない人たちです。私の生きてきた時代は幸い平和でした。日本のおかげです。瑣末なことで争うことはありましたが、イディオロギーの違いでいまでも揉め事は頻繁です。私自身も瑣末なことで争うことはありましたが、基本的に争うことは嫌いなので、何かあると引き下がります。よくないことかもしれませんが、そうしてきました。これからも残り少ない余生をそうして過ごせればありがたいと思っています。

「建国記念の日」に思うことは、「の」を入れたことにより収まっている争いの解決の仕方に感心します。高校教員のときに、「建国記念の日」に合わせて「の」の意味を強調していたあの先生はすごい人だったなと思うこの頃です。


建国の 記念の日に 平和あり




 

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