6 Problems with our School System
学校(school)というのは不思議な場所だと思います。日本語では、「学校」は「学ぶ所」で寺子屋、手習所、塾、学問所などと呼ばれてきていて江戸時代の頃から一般にも広がったと聞いています。「読み書きそろばん」は基本的に変わりませんが、昔の文献(論語、仏教などの中国やインドからのもの)を学ぶ学問形式は西欧の内容に代わったり、日本の文献に代わったりとなっています。schoolの語源は次のように説明されています。
[place of instruction] Middle English scole, from Old English scol, "institution for instruction," from Latin schola "meeting place for teachers and students, place of instruction;" also "learned conversation, debate; lecture; disciples of a teacher, body of followers, sect," also in the older Greek sense of "intermission of work, leisure for learning."
This is from Greek skholē "spare time, leisure, rest, ease; idleness; that in which leisure is employed; learned discussion;" also "a place for lectures, school;" originally "a holding back, a keeping clear," from skhein "to get" (from PIE root *segh- "to hold") + -olē by analogy with bolē "a throw," stolē "outfit," etc.
schoolにはもともと「遊びや余暇」といった意味合いがあり、仕事に対して、少し余裕を持って「学び」という考え方があったと思います。背景には、貧しい人はその余裕がないということでしょう。
現在の「学校」はどうでしょうか?基本はあまり変わっていないと思います。が、ルールが優先されていて、ときどき息苦しい感じがします。もちろん学校によって違いますが、コンプライアンスという用語が学校の活動を悪い方向で規制している可能性があります。これは日本だけのことではないですが、日本は特に「余裕がない」と感じます。学校を訪問すると、掲示が多くあります。その掲示の種類や時間や場所に関係する掲示があります。また、活動の時間の遵守、儀礼的な活動、衛生的な活動、子どもの発達場の対応、服装などなど、教師や生徒を統制する雰囲気があり、自由度が低い感じがする場面があります。もちろん、一概には言えませんが、大雑把に言うとそんな感じです。
そのような視点で学校を見ると、それぞれの学校の特徴を見ることができると思い、これまで多くの学校を訪問してきました。それは良いとか悪いとかを評価するためではありません。ただ今後のために評価するだけです。しかし、内部にいるとそれははっきり見えないものです。はるか昔、私が高校教員として働いてきたことをときどきふりかえると、反省することばかりです。大学で働いていたときもそうです。いまは退職して、外から見ているので、そう思うのでしょう。
生徒を見たり、生徒と話したりすると、学ぶことが多いです。自由度の高い環境ではそれがよく見えます。発想がすごいです。年寄りにはできない発想をします。「学校楽しい?」と聞くと、ほとんどが「はい、楽しい」と答えますが、「何が?」と質問すると、さまざまです。おそらくほとんどは本音ではありません。が、嘘でもありません。内容よりもその答え方に私は興味があります。
English Words With Many Meanings: "Leisure"
結論は、学校は「余裕(leisure)」があってほしいということです。
雪が舞う 学校は今日は 休みたい
0 件のコメント:
コメントを投稿