2025年2月25日火曜日

Schools / 学校 2025年2月25日(火)

いまままで日本や世界の学校をいくつ訪れたでしょうか。埼玉県の高校の教員の際は、ほとんどそのような経験には恵まれませんでした。行きたいと思っても、金も暇も機会もなかったごくふつうの教員でした。ただし、ALTと言われる外国人指導助手と触れ合うことが多々あったので、それは貴重でした。高校の教員を辞めたのきっかけに毎年いくつかの国を訪れ、学校を訪れ始めました。

学校というのはどこにでもありますが、こどもを預かっているので、誰でも自由に入ることはできません。学校授業公開日などを日本は設定していますが、それなりの対策を取って実施しています。学校を公開する理由は、あまりにも閉鎖的で世間と遊離しているような教育があったからです。この批判に応えるために、学校をある程度社会にも見えるように工夫してきています。それとともに、セキュリティはしっかりしてきています。

たとえば、世界中の多く学校は犯罪履歴のある人を制限しています。そのために、Police Checkなどと犯罪がないという証明書を提出しないと部外者は基本的に学校には入れません。特に性犯罪には厳しくなっています。課題は、学校という空間に限られず、ソーシャルネットワークの発達により、子どもたちが知らない大人と簡単に接触できるような仕組みが生まれました。ソーシャルネットワークを子どもに制限するようなルールも作られつつあります。

要するに、学校には二つの軋轢があります。一つは社会に公開し、社会とかかわり合う教育を推進することです。もう一つは、それに反して、子どもたちを、社会の悪から守る方向です。この二つは相反することで、両立はむずかしいと考えられます。それでも、その相反することを同時に学校は取り組まなければなりません。

まったく知らない学校でも、昔は訪れることは可能でした。ある程度説明すると、先生の判断で教室にも入り、写真やビデオなども撮ることができました。が、正確には記憶していませんが、十数年前から徐々に厳しくなりました。それでも、ある程度お互いの信頼性ができれば許可されるようになっていましたが、それも厳しい規制がかかり、映像にかんしては同意書のようなものがいくつも必要になっています。

私の研究は、学校文化みたいなことが重要な部分があります。そのために、学校を訪れ、生徒と話し、先生と話し、授業を観察し、メモをとり、記録を丹念に積み上げて、ときどきはアンケートや何かについて生徒に書いてもらったりしてきました。今はもうやりません。先生や生徒や授業を研究の材料とだけして、匿名性を担保し、同意書を集め、倫理規定を守りながら、制約された研究をすることにあまり意味を見いだせなくなったのです。

研究のための研究はやめて、学校を訪れ、何か力になれないかといつも思うようになりました。いまままでヨーロッパ、アジアの多くの学校を訪れました。オーストラリもアフリカも行きました。機会があまりなかったので、北米や南米にはあまり行ってませんが、少し行ってます。日本の学校はかなりあちらこちらに訪問させていただきました。現在も研究というよりは実践に活かせるように定期的に訪問させてもらっています。

さて、学校とはなんでしょうか?私は学校は基本的に嫌いな場所でした。しかし、運命の悪戯で教員になり、学校は好きではありませんが、変えたいと思っています。もっと誰もが居心地の良い学校がいいと思っています。不登校などという変な表現が世間を賑わすようなことがない、誰もがちょっと勉強したいと思えば行ける学校がいいと考えています。きっとそう思うのは、私がもともと学校が嫌いだからなのでしょう。


如月に 学校訪ね 我思う




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