2025年8月1日金曜日

1st August / 8月1日 2025年8月 1日(金)

いよいよ8月です。あと14日でこの日記も終わります。なんとなく始めた日記で、一つの「生きた(生きられたではなく)経験(lived experience)」を記述しています。当初の方針どおり、基本的に文章を推敲しない、思ったことを書き殴るということです。間違いがあっても直さない、気にしない、文章がおかしいのも多々あるわけですが、それは自然なことです。文章力がないのでそれも私の特性で、そのまま書くということです。誰かに読まれるということは、想定はしていますが、それに対してどうとも思わず、ただ記録を残しておくという趣旨です。この日記のタイトルも、その中で変遷し最終的に「Sasa Autoethnography」としました。

構成は、関連のYouTubeを加えて、俳句で終えるという形式です。その理由は、CLILという教育の教材研究と、俳句の練習です。日本語と英語で考えることを目的としています。また、阿留辺畿夜宇和という明恵上人の生き方を少したどりたいと思って続けました。当初はすぐにやめるつもりでしたが、おもしろくなって続けています。が、ずっと続けることは生活上無理なので1年と決めました。さいわいなんの苦情も来ないので、迷惑はかけていないようです。また、Googleの検索にはほぼ引っかからないようで、そっと世界の片隅の戯言という状況がおもしろいと思いました。「バズる」というのはたいへんなんだと思います。インターネットやソーシャルメディアというメディアもなんらかの作為により動いていることがよくわかります。

意味のなく、作為もなく、毎日続けることは、私の散歩と同じです。散歩はコロナが蔓延し出した2020年4月から続けています。ずいぶん歩いてきた割には痩せもせず、健康的でもなく、それほど変わらず「生きて」います。ただ、散歩もこの日記も、私にとっては、一つの「こころの安定、バランス」となっていることは間違いありません。

八月一日は「ほずみ」とも読むそうです。また、八月朔日として八朔とも言われるそうです。八朔は、豊作や普段お世話になっている人への感謝を表す日だそうです。ということで、本日は、この日記をここまで続けられたことに感謝したいと思います。「綴る」という作業は、いろいろと考えさせられます。私はただの英語教育実践や教育実践に興味があり、その関係の仕事に従事してきました。言語を考えるということは、言語だけには限らない多くのことを理解し考えなければいけないということを痛感しています。

    [Titanic] Jack Dawson - To make it count

「いまを生きる(make it count)」という言葉が好きです。「生きる」ということは、ただその連続です。結論は出ないことがほとんどです。何か偉そうなことを言っても、それで解決はつきません。問題があれば対応をしますが、さらなる課題が出てきます。目の前の課題にただただ向き合っていくことしかなく、日々を過ごしていくしかない。毎日毎日変わります。喜びも悲しみもただただそのまま受け入れていくしかない。賢く生きることは大切ですが、そうはいかないのが世の中です。私は、退職してから、それしかないのだと思うようにしています。あと数年かそこいらどこまで生きるのかわかりませんが、ただただ生きていくしかないと今日8月1日思います。


今日です 八月一日 私の日




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