2025年8月13日水曜日

Soseki Natsume Kumamoto / 夏目漱石 熊本 2025年8月 13日(水)

先日、夏目漱石の熊本時代の住まいである内坪井旧邸の記念館を訪れました。この豪雨のちょっと前です。被害がないことを祈ります。旧邸は、明治29年(1896)、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として勤めた頃で、結婚と初の子どもが生まれた住まいです。そこは、熊本で5度目に転居した場所です。漱石の五高の教え子の寺田寅彦と出会った場所でもあります。

夏目漱石は、以前にも書きましたが、もともと英語教師であり、文学も語学にも通じた人です。それに加えて、正岡子規とも交流し、俳句や漢文学にも精通し、作家として今日にも通じる作品を多く残しています。私はすべては読んでいませんが、『ごゝろ』は何度も読んでいます。自分の研究手法としてのティーチャーリサーチに最も通じるヒントを得た作品です。

夏目漱石という人は、多くの人がその人となりを記述しています。なかなかむずかしい人です。熊本の生活が終わり、漱石はロンドンに留学しています。私はロンドン滞在中の住まいも訪れたことがありますが、そこで精神を病み、帰国します。ロンドンでの研究生活がどのようなものであったかは知りませんが、熊本滞在の頃よりは悲惨な生活だと思います。内坪井邸の広さを見てそう思いました。想像していたよりもかなり裕福な生活です。妻や子どもとの落ち着いた生活があったと思いました。それとは違うロンドンの生活があったことは想像できます。おそらく漱石にとっては窮屈な生活だったでしょう。

我に許せ 元日なれば 朝寝坊


菫程な 小さき人に 生れたし








内坪井邸にあった俳句です。なんとなく漱石という人の一面が推測されます。几帳面な人だったのでしょう。また、当時では耐えられないほどの期待を与えられロンドンに留学したのだと思います。英語教育に関しては、それまでの「お雇い外国人教師」からの脱却を託されていたと思います。留学して戻った漱石はある程度その使命を果たしたと思いますが、嫌だったのでしょう。その後の教授の職を辞して作家になったのは、私にはわかりませんが、嫌だったのでしょう。『三四郎』は九州から上京して東京帝国大学での生活の物語です。都会の生活での息苦しさと淡い期待などを表現していて、美穪子が呟く「stray sheep」という言葉に象徴される「迷い」が、漱石の中に渦巻いていたと、私は感じました。

坪井川の辺りにあり、熊本城を望み、五高(現熊本大学)に近い内坪井邸に、訪問者は私一人で、蒸し風呂のような天気の中でホッと一息居間に座り庭を見ていて、漱石はこの頃が一番幸せだったのではないかと思いました。庭には長女が産湯を使ったという井戸があります。そこにある句碑に次の俳句があります。

安々と 海鼠の如き 子を生めり







海鼠はナマコです。俳句としてどう評価するのかわかりませんが、「写生(observation)」の大切さを主張した正岡子規からすると、漱石の俳句は、やはり主観を大切にするような気がします。主観と主観が相互に行き来する間主観(intersubjectivity)を大切にするように考えられます。

漱石は、「私の個人主義」の講演の中で次のように言っています。

それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥はいせきされ踏ふみ潰つぶされるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚はばからないつもりです。

漱石の言わんとすることは、これだけでは明確にわかりません。もう少し屈折していると思います。しかし、その屈折が漱石の魅力です。それと似たような部分は、私の中にもあります。人は結局そういうものなのです。


洗い髪 豪雨の後も 晴れる空







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