2025年2月22日土曜日

Autoethnography / 自分の思考の生きた記録 2025年2月22日(土)

本日からこの日記のタイトルを変えました。理由は、長いということと、次第に「自分の思考の生きた記録」のようになってきたので、autoethnographyとしました。

Williamson K., & Johanson G.(2017).  Research Methods: Information, Systems, and Contexts: Second EditionChandos Publishing.によれば、「個人が文化社会につながる方法として著作」というようなもので、自分と他者との関係性について自分で探索することとしています。

Autoethnography is “research, writing, and method that connect the autobiographical and personal to the cultural and social” (Ellis, 2004, p. xix). Chang (2008) emphasised that autoethnography is about understanding the relationship between the self and others. The role of ‘culture’ is fundamental, as is clear from Ellis’ quotation. Moreover, while accepting the notion of ‘individual culture’, Chang stated her “nonnegotiable premise: the concept of culture is inherently group-oriented, because culture results from human interactions with each other” (pp. 16–17).

要するに、自分の思考や行動をこのように記述することにより、他者とのかかわりを持ちながら、何かについて探求していくことと考えました。しかし、私の日記はあちらこちらに飛ぶので、正確にはautoethnographyには当たらないかもしれません。方法論はさておき、1年間記録しようと決めたので流れのままに記録します。

退職したことでしがらみがなくなり、これといった達成しなければいけない仕事や研究が特にありません。自由なわけです。漫然と生きればそれで済みますが、それではあまりおもしろくないと思った次第です。あれやこれやと身体が動く限り、自分がかかわってきた教育にいまだにかかわっています。日記というと内心の醜い部分や恨みや妬みや怒りを書くのかもしれません。あるいは、事実を淡々と記録するのかもしれません。が、この日記は、阿留辺畿夜宇和を柱にしています。

このブログは、ほぼ誰も読みません。Googleでも広がりません。私も広報しないし、誰からもフィードバックもありません。ほぼ自分に対して書いています。しかし、それがおもしろいのです。つまり、この日記は誰でも見ることができますが、誰も見ないということです。インターネットというのは実に便利ですが、恐ろしい面もあることがようやく自覚できてきました。私はネット上にはかなりの情報が上がっています。それを異なる視点から狙っている集団があるという恐ろしい事実です。

最近ようやく気づいたので少し注意するようになりました。しかし、いまさら過去のものを取り下げても勝手に拡散してしまうので、もう遅いということです。生きている限り、足跡は残ります。有名人はその意味でかわいそうです。賢い人はその仕組みを知っていて実に賢く利用しています。また、その仕組み自体が透明性に欠けていて、疑心暗鬼(まさに私の現在がそうかもしれません)がはびこり、ネット上にはデマが横行し、真実が結局わかりずらくなっています。現在のメディアの現状を見ると恐ろしいと感じます。Social mediaもそろそろ考えものかもしれません。

さて、 autoethnographyと変えたからと言っても何も変わりません。私はあと数ヶ月これを以前と同様続けることにします。


2月末 どこへ向かうか この日記 



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