2025年6月6日金曜日

Philosophy for life / 生活のための哲学 2025年6月6日(金)

この日誌は、阿留辺畿夜宇和を基本の考えとして記述しています。私自身がそのときその場で思ったことをダラダラと書きます。読む人は脈絡のない語りに面白みも感じないかもしれません。さらには、文章がおかしい、言っている意味がわからない、何を言いたいのか、など、疑問を感じるでしょう。しかし、私には関係ありません。私の意識の流れ(stream of consciousness)がそうさせます。本日は哲学を考えます。

いつも思いますが、哲学は「知恵のある学問」という意味になります。「知恵を愛する、大事にする学び」と言えるのかもしれません。が、哲は何か堅い感じがあり、難しいことを言わなければいけない、すべてのことを理解して考えなければいけない、文献に通じ、その思考の流れをもとに議論を展開しなければならない、西洋哲学が基本なので、それについて知っていなければ哲学は語れない、ギリシャ哲学、インド哲学、中国思想など、それなり知っていることを前提として哲学はあるという印象を持ちます。

日本の哲学は、西洋哲学の理解から始まり、それを日本的に消化し、今日に至っていると理解しています。西洋の作法に従い、英語、ドイツ語、フランス語などを理解し、哲学を考えるというわけです。そうなると多くの人は遠ざかります。そんなことをしていても意味がないと考える人も多いでしょう。大学生時代に興味をもって、ある先生の授業を受講しましたが、何を言っているかわからず途中でやめました。それでも和辻哲郎の『風土』は記憶に残っている本です。専門家に言わせると評判はよくないみたいですが、私は感銘を受けました。いまでも外国に行くとその本の中で語られていたことを思い出します。

さて、哲学は、私たちの生活の中で欠かせない基本だと思っています。思考方法、批判的思考、学び方、生き方、道徳、社会課題などなど、毎日生きていると、「何をどう考え、どう行動し、どうふりかえり、次に何をどうするか」という基盤になっていると、私は考えています。それが私の哲学です。朝、目が覚めると、今日も生きたと思い、身体の状態を寝床で確認し、その日の体調を確認し、しばらく寝床で準備して、本を読んだりします。起きて、コーヒーを飲み、朝食をとり、少しずつ仕事に取りかかります。まずメールのチェック、原稿などの執筆、この日誌などなど、いろいろなことをしていると、昼が来て、夕方になり、ビールを飲み、夕食を食べ、寝ます。これが私の哲学の基本です。

昔、軽井沢に山小屋を持っていました。仕事が忙しかったのですが、時間が取れるとそこに行き、静かに一日思考していました。自然の中に居るということが、とても「考えること」にはよかったです。哲学は、私の理解では、単純です。「考えること」「悩むこと」「工夫すること」「自分を見つめること」「課題を解決すること」「生きること」などです。ソクラテス、デカルト、カント、フッサール、ハイデガーが何をどう考えているかは興味はありますが、それについて理解できてもできなくても関係ないです。私には私の考えがあり目的があり生き方があります。論理的であろうがなかろうが、私自身が落ち着くこと、理解すること、行動することが大切です。

この日誌は脈絡はありませんが、1年間続けようと思って初めて、自分というものの理解も兼ねて、綴ってきて、私なりに成果はあります。それは、阿留辺畿夜宇和であり、明恵上人を追うことであり、自分にとっての哲学であり、フッサールの言う現象学を研究に活かす方法としてのautoethnographyやduoethnographyの実践です。


アブラムシ 葉の裏に棲み 生き生きと 



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